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連載・特集

緑地帯 いま 表現を考える 永田浩三 <2>

 「はだしのゲン」を読む中で、学生たちはいろいろなことに気付いていった。最初はグロいと言っていた学生たちが、1952年8月の「アサヒグラフ」に載った被爆者の写真に出合う。顔全体がやけどで覆われ、目も鼻も分からない。写真は米軍の検閲で長く公開を許されなかった。「ゲン」はそれよりずっと穏やかだ。作者の中沢啓治さんは子どもがショックを受けないよう、表現を抑えたのだと知った。

 学生たちは「ゲン」についてアンケートを行う。対象は武蔵大と明治大の1、2年生計451人。178人が学校図書館で読んでいた。驚いたのは、覚えていた場面の自由記述。原爆投下直後のガラスだらけの人、皮膚が垂れ下がる、ウジがわくといった場面だけではない。深い家族愛、苦しい中でも助け合う人々への感動、薬物依存になる原爆孤児、戦争に反対すると非国民扱いされたり、日本軍の残虐性についてゲンが語る場面。びっくりするほどさまざまな場面を記憶していたのだ。学校図書館から排除する動きについては、89%が学校に置くべきだと答えた。また、米軍が原爆についての表現に検閲を行っていたことを、54%が知らなかった。

 また、こうの史代さんの「夕凪(ゆうなぎ)の街 桜の国」との比較もした。原爆体験を忘れずに過ごしている点で、両者に共通するものが多いと気付いた。「ゲン」排斥の根拠の一つともされる天皇の戦争責任についても尋ね、責任を認める声が4割強、責任がないとする方向の意見が1割弱との結果を得た。こうした質問を提案した若者たちを頼もしく思った。(武蔵大教授=東京都)

(2015年1月17日朝刊掲載)

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