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連載・特集

緑地帯 いま 表現を考える 永田浩三 <3>

 ベン・シャーンという画家をご存じだろうか。1954年、第五福竜丸が南太平洋で米国の水爆実験の死の灰を浴び、久保山愛吉さんが亡くなった。シャーンは事件に心を痛め、福竜丸のシリーズを描き、水爆実験反対を叫び続けた、20世紀を代表する芸術家だ。

 しかし、シャーンの生涯は知られているとはいえない。2年前、私はシャーンの生涯をたどる旅をした。生まれたのはリトアニアのカウナスという町。本には寒村と書かれたりもする。実際、気温は低いが、立派な都会だった。

 カウナスは、ユダヤ人を救うためのビザを発給した外交官・杉原千畝がいた所だ。旧領事館には当時の机や写真が飾られ、多くの日本人観光客がやってくる。シャーンもユダヤ人。迫害を受け、8歳の時、一家は米国に移住した。シャーンは、赤い大きな怪物が登場する絵をいくつも描いている。

 その絵を町の人たちに見てもらった。シャーンの名を知る人はほとんどいないが、春を呼ぶ祭りに登場するお面に似ている、色使いも現地の色だという答えが返ってきた。幼い頃の体験が、芸術家の魂を形成したのかもしれない。

 現地のメディア研究者たちから、いつかこの町でシャーンの展覧会を開こうと言われた。実現するといいなあ。首都ビリニュスに向かう。町を貫くエリス川のほとりには、杉原千畝のレリーフが建てられ、隣に広島から贈られた被爆敷石があった。かつて、ソ連からの独立を求めた多くの市民が虐殺された地。原爆投下の記憶と重なると考えた広島市民が鎮魂と連帯の気持ちを表したものだった。(武蔵大教授=東京都)

(2015年1月20日朝刊掲載)

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