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連載・特集

緑地帯 いま 表現を考える 永田浩三 <5>

 社会の不正義と闘い、それを絵にしたベン・シャーンは、ドキュメンタリー写真家としても活躍した。世界大恐慌のあおりで米国でも地方都市や農村は疲弊し、困窮を極めた。シャーンは妻の実家があるオハイオ州コロンバスで、新聞売りの少年や泥の中で遊ぶ女の子にレンズを向けた。まなざしは終始、優しかった。バーでタップダンスを踊る黒人の連作もある。

 それをもとに、原爆投下のボタンを押したトルーマン大統領を批判する絵を描いた。シャーンの最後の作品は、リルケの「マルテの手記」の絵本だった。絵本の冒頭には、ジェットコースターのようなオブジェが描かれていた。これは一体、何だろう。福島県立美術館の荒木康子学芸員は、これが原爆投下直後の広島の建物であることを、シャーンの遺品を手掛かりに突き止めた。

 私はシャーンの遺品調査で米国滞在中、母が倒れたとの知らせを受けた。母は広島市中心部の八丁堀で被爆した。急ぎ帰国した私に、大阪の病床で母は、あの日のことを繰り返し語った。小康を得たころ、私は広島に向かった。母はどんな経路で逃げたのかを確かめたかったのだ。母は縮景園を通り、猿猴川に下りて生き延びた。

 広島の原爆資料館で1枚の写真を見つけた。シャーンが絵本に描いたのは、八丁堀の呉服問屋、小田政商店の折れ曲がった鉄骨だった。それは、母の実家の尼子商店のお隣。不思議なこともあるもんだ。シャーンと広島、私が一本の糸でつながった瞬間だった。シャーンの核兵器反対の思いは、広島との出合いから生まれたと私は思う。(武蔵大教授=東京都)

(2015年1月22日朝刊掲載)

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