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連載・特集

緑地帯 いま 表現を考える 永田浩三 <7>

 「慰安婦」をイメージした少女像が、東京都練馬区のギャラリーで開いている「表現の不自由展」の会場片隅に置かれた。彫刻家のキム・ソギョン、ウンソン夫妻は、娘の体形を手掛かりに製作した。握り拳を膝に置き、はだしの足を少し浮かせている。髪は乱暴に切られ、顔は静かに正面を向く。

 少女の隣には、空いたいすが一つ。誰が座るのだろう。少女の未来か、それとも彼女に向き合うべき相手か。多くのお客さんが少女の隣に座っている。若い学生も座る。何を感じたかを尋ねた。彼女は怒ってはいない、耐えている。一緒に語り合おうと言われた気がする、僕のお姉さんのようだった…。よく言われる反日や抗議のシンボルという感想は聞かれない。

 取材に訪れた新聞記者も座ってみた。同様の意見だ。しかし、日本の新聞が記事にすることはとても難しい。憲法9条や脱原発の作品は取り上げられても、少女像はハードルが格段に高そうなのだ。 韓国ではすでに10体の少女像がいろいろな町に置かれているそうだ。座るだけでなく、立ったり、おばあさんになったり。歳月の中で成長しているのだという。

 夜、ギャラリーで一人になり横に座ってみた。性別を超えた人間であり、年齢を超えた存在に見えた。肩に止まっていた小鳥が羽ばたき、私と少女が夜空に向かって飛んでいくような錯覚に襲われた。まるでピーターパンのように。芸術って面白い。軽々と時間と空間を超えることがある。

 「慰安婦」問題は日韓の政治の争点だが、少女像に静かに向き合い、対話してみることも大事だと思う。(武蔵大教授=東京都)

(2015年1月24日朝刊掲載)

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