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連載・特集

緑地帯 いま 表現を考える 永田浩三 <8>

 「表現の不自由展」を取材する人から必ず受ける質問がある。「先日、パリで風刺新聞の編集部が襲われたが、人を傷つけるような表現でも全て許されるのか」と。風刺漫画で笑えるためには、笑いのツボを共有している必要がある。時代背景や文化的な土壌が異なっている場合、笑いは時には人を激しく傷つけることになる。

 殺してよいはずは絶対ないが、相手を本気で怒らせるのはいいのだろうか。それを防ぐために規制するのか。いやちょっと待て。日本はただでさえ自粛と忖度(そんたく)を優先する。配慮という話が先に来る。それでは、やはりだめなのだ。表現はもともと差し障りのあるもの。その中でどう折り合いをつけるかが、表現の醍醐味(だいごみ)だと思う。

 時を同じくして、シリアでは日本人の人質事件も発生した。拘束されているジャーナリストの後藤健二さんは15年前、アフリカの内戦後の子どもたちを記録し、当時、NHKのプロデューサーだった私に持ち込んだ。以来、一緒にいろいろな番組を作った。

 写真家、名取洋之助の名著「写真の読みかた」に、美術館の火事を語る場面がある。焼け跡に作家が集まって残骸を集める情景が胸を打つ。私たちはつい、燃え盛るところを撮りたがる。しかし、火が消えた後にこそ真実があると名取は言う。後藤さんは多くの戦場を撮影した。だがドンパチの映像ではない。戦後の悲しみ、最も先に被害に遭う子どもたちに心を寄せた。その姿勢はジャーナリストの原点であり、到達点でもあると思う。どうかご無事でありますように。(武蔵大教授=東京都)=おわり

(2015年1月27日朝刊掲載)

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