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連載・特集

廃炉の世紀 第3部 課題を聞く <4> ベルリン自由大 ミランダ・シュラーズ教授

正答ないから議論を 核ごみ処分 決断不可避

 福島第1原発の事故を機に、2022年までの脱原発を決めたドイツ。脱原発を政府に提言した倫理委員会の委員を務めたベルリン自由大のミランダ・シュラーズ教授は「原子力の問題は『正答』がないことが多い。だから国民的な議論が必要だ」と呼びかける。

 ―ドイツの廃炉の課題は。
 廃炉の費用を誰が負担するのか。ドイツは原発を運営する企業が責任を負う。だが関連企業が昨年、廃炉や放射性廃棄物の処分などのコストを公的基金で賄うべきだと提案した。廃棄物処分も含めた原発の最終コストがどこまで膨らむか誰も分からないから。廃炉をめぐって電力会社が政府を訴える訴訟も起きている。

 ただ、国は既に00年ごろに脱原発の方針を示しており、政府と電力会社が対話してきた。ここが日本と違う。企業も立地地域も、時期は別として廃炉は予想できた事態だ。

 ―脱原発が決まり、原発問題への国民の関心に変化はありましたか。
 関心が離れている人もかなり多いと思う。緑の党の支持率の低下が、それを示すとする分析もある。けれど廃炉を決めても、廃炉の廃棄物や使用済み燃料など核のごみの問題は残る。中間貯蔵や最終処分地の選定が具体化すれば再び大きな議論になるだろう。

 私たち倫理委は、脱原発後の課題については結論を出さなかった。だが廃炉をどう進めるか、残る放射性廃棄物をどうやって処分するかは、大きな倫理的な課題も背負う。

 ―何が倫理的に問題なのでしょうか。
 例えば処分場をどこかに造るとき、その町にお金を提供するのは倫理的に問題があるという見方がある。経済的に困窮した地域に、お金の代わりに難題を押しつける構図だからだ。米国では10年ほど前、放射性廃棄物をアフリカに輸出するかどうかで倫理的な論争が起こった。同じ国内でも、都会でなく人口の少ない農村や漁村などに処分場を造ることは同じことだろう。

 ―どのように難題に向き合えば良いのでしょうか。
 まずは国民を巻き込んで議論することだ。廃棄物の話は誰もしたくないが、いつか必ず決断しなければならない。ドイツも、廃炉や廃棄物の処分をどうするか、脱原発を決めたときのように倫理委で議論する必要があるかもしれない。

 ドイツと比べたとき、日本は政府と国民の議論が足りないと感じる。原子力に反対でも賛成でも、自分たちの世代が生み出した問題は自ら片付けなければ。誰もが賛成する選択はあり得ない。だからこそ議論を尽くす必要がある。

 1963年米国生まれ。専門は環境政策、比較政治学。米メリーランド大准教授などを経て2007年から現職。中央大や立教大で客員研究員を務め、日本の原発政策にも詳しい。

(2015年2月3日朝刊掲載)

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