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社説・コラム

『言』 福島を知る講座 自分の頭で考え続ける

◆ミュージシャン・浜田真理子さん

 福島第1原発の事故が投げ掛けた問題は何なのか。無関心だった自分を偽らず、事実をまず知りたい―。ミュージシャンの浜田真理子さん(50)は原発の立地自治体でもある地元の松江市で、福島について学ぶ公開講座「スクールMARIKO(マリコ)」を主宰している。4月開講の3年目に向け、思うところを聞いた。(聞き手は論説委員・石丸賢、写真・秋吉正哉)

  ―講座を始めた動機は。
 原発事故からほどなく、福島に1万人を集める音楽イベントの呼び掛けにミュージシャン仲間の大友良英さんが加わっていて、「あれ、どうしたんだろう」と思ったのが始まりです。放射線の影響に対する不安が、渦巻いている時期でしたし。

    ◇

  ―NHK連続テレビ小説「あまちゃん」の音楽を受け持ったギタリストですね。
 私のアルバム「夜も昼も」のプロデュースを引き受けてもらうなど、十数年来の知り合いで。その大友さんが3・11を境に人が変わったように見えた。

  ―と、いいますと。
 一匹おおかみというか、表立って「絆」を口にする人ではなかった。出身地の福島も避けているふうだったのに「福島のために」と立ち上がっていて。何が彼をそうさせたのか、ぜひ本人から聞いてみたいと思ったのが糸口になりました。

  ―それで講座1年目のおととし、初回のゲストに。
 はい。その年は大友さんの人脈で、音楽や文化から福島を盛り上げている人々を中心に招いて現地の事情を聞きました。

  ―浜田さんの役割は。
 毎年、初回講座では弾き語りをするんですが、普段は「日直」です。司会がてら、「ベクレルやシーベルトって何のことですか」とか、いろはから質問をぶつける役回りです。私自身の勉強でもありますから。

  ―ことしで3年目。続けるおつもりですか。
 ええ。福島では、古里を追われた心労や過労からくる災害関連死の問題もある。人間の復興は、長い道のりになる。広島のことを考えれば分かります。家族を失った心の傷も原爆症の不安も、戦後70年たった今も癒やされてはいませんから。

 小学校の学級文庫にあった「はだしのゲン」は大好きな漫画。あれを読んだ経験が、今も世の中のことを考えるときの背骨になっている。福島のその後からも何か教訓を得ることが、立地自治体に住む人間の務めでもあると考えています。

    ◇

  ―3年目の講座案内に「一足飛びに脱原発、反原発を掲げない」とありますね。
 今の暮らしは原発を組み込んだ経済や政治システムの上に乗っかっています。電源交付金を使った道路や公共施設は数知れず、「豊かな社会」も電力頼みで築いてきた。いや応なしに恩恵にあずかっているんです。1年目に招いた福島出身の社会学者開沼博さんに、その根深さも向き合う重みも教わりました。

  ―そのためには、まず現実を知ることが大事だと。
 そうです。私の曲「カナリア」にこんな歌詞があります。<カナリアはうたう/ちいさな声でうたう/本当のことが知りたくて>。私は、原発のことを忘れていた。それが原点。情報のアンテナを張り、受け売りでなく、自分の頭で考え続ける。そういう姿勢を松江の地で分かち合いたいと思っています。

  ―おととし出たアルバムに、福島を訪ねて作った曲「はためいて」を収めていますね。
 言葉のニュアンスが強過ぎて、私の中でNGワード(禁句)だった「ふるさと」を初めて歌詞に使った曲です。<ああふるさとはここにあり/生きて生きて行(ゆ)こうよ/小さな毎日>と歌うんですが、大友さんと同じように、私にも古里を離れたくて仕方ない時期があった。

  ―吹っ切れたんですか。
 ツアーの合間に町を歩き、地元の人と話すと、地域事情が感じ取れるし、松江の良さにあらためて気付く。福島を知る講座は東京と地方、古里を考え直す時間でもあるんでしょうね。3年目の今回は地道に福島と関わり続ける方々を講師に招きます。最終回は福島の詩人和合亮一さん。(中国横断自動車道)尾道松江線が間もなく全通ですし、広島の皆さんもどうぞ。

はまだ・まりこ
 出雲市生まれ。島根大教育学部卒。98年に初アルバム「mariko」を発売。03年寺島しのぶ主演の映画「ヴァイブレータ」で「あなたへ」が挿入歌に。08年音楽舞台で小泉今日子(朗読)と共演。14年に初のエッセー集「胸の小箱」(本の雑誌社)を出版した。4月18日からの講座はNPO法人松江サードプレイス研究会の主催。松江市在住。

(2015年2月4日朝刊掲載)

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