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社説・コラム

『論』 テロと領域支配 現代史の潮目 直視せねば

■論説主幹・佐田尾信作

 ありとあらゆるものを題材にするのが日本のコミックである。許し難い結末となった邦人人質事件で思い出し、拙宅の書棚を探した。少年雑誌で30年前に連載された「クルドの星」の文庫版が出てきた。作者の安彦(やすひこ)良和氏といえば、「機動戦士ガンダム」の方が通りがいいかもしれない。

 クルド人はトルコ、イラク、シリアなどの中東諸国にまたがって暮らし、しかも独自の国家を持たない民族だ。安彦氏はギリシャ神話をアレンジしたアニメ映画のロケハン中、長距離列車で乗り入れたトルコの風土に接し、この「異境の民」に共感を覚えたという。

 「クルドの星」はクルド人と日本人のハーフの少年が失踪した父母の消息を追う物語。トルコ政府軍との攻防があれば恋のさや当てもある。文庫版は「冒険活劇」をうたうが、1990年に記した後書きにはこんなくだりがある。

 「フセイン(大統領)自身が言うように『帝国主義者の線引きで生まれた』イラクという今日的な国家がたとえ消えうせても、クルディスタンに住むクルド人という存在は千年後まで残るだろう」

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 90年といえばイラクのクウェート侵攻の年だが、イラクの行く末を予感したのだろうか。翌年、米国主導の多国籍軍が介入して湾岸戦争が始まる。10年後の米中枢同時テロを機に、米ブッシュ政権の「対テロ戦争」によって2003年、フセイン政権は崩壊した。

 近代史をひもとけば、第1次大戦さなかの1916年、オスマン帝国の領土分割を英国、フランス、ロシアが取り決め、イラクやシリアなどを独立させた。世界史で「サイクス・ピコ協定」を暗記した覚えがある。

 かの帝国を線引きした密約である。それから来年で100年。記号のように記憶の奥底に散らばっていたが、今後は「イスラム国」の正体を読み解く鍵になろう。

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 中東の国々は第2次大戦後、アラブ民族主義や社会主義を掲げて国力を高め国民統合を果たした時代もあったが、少なからず挫折した。やがて非和解的な国内対立の泥沼に陥り、イラクやシリアではイスラム国につながる過激派勢力が、権力の空白に乗じて伸長したのは報じられている通りだ。

 彼らは密約を敵視するスローガンを掲げている。線引きのリセットをもくろんでいるのだろう。

 イスラム国が従来のテロ組織と大きく違うのは、カリフ(預言者ムハンマドの後継者)を名乗り、国境を無視して「領域支配」を始めている点だろう。国際社会が承認するはずのない「国」だが、「ISIL(アイシル)」と言い換えて済む問題でもない。

 厄介なことに、火種は中東以外に飛び火する兆しも見せている。中東研究者の池内恵氏は近著「イスラーム国の衝撃」で、イスラム国がイラクやシリアで今以上に領域支配を広げることには限界もあるが、遠隔地で別の組織が共鳴して「領域国家」を宣言する可能性は多分にあると予見する。

 イスラム国は、ネット社会の鬼っ子でもあろう。残虐かつ戦闘員をヒーローとして映し出す画像を世界に拡散させ、人脈や組織のつながりのない者たちをも扇動している。

 まさに未知の領域である。だが、日ごろは中東と縁遠い私たちが直視しなければならない現代史の「潮目」なのかもしれない。

 91年に「湾岸戦争で問われたヒロシマ」という見出しの記事をまとめたことがある。パレスチナなどの紛争現場を踏んできた広島大出身のジャーナリスト土井敏邦氏は、取材にこう語っていた。

 「戦争のない状態が平和、という平和の概念から脱却すべきだ。核だけに目を向けるのではなく、人権、経済格差などを含めて幅広く考えていかなければ、第三世界の人々の信頼は得られない」

 今なお通じる指摘だ。当時、自衛隊機派遣を止めようとヨルダン民間機を避難民輸送用にチャーターする運動などがあった。

 イスラム国による国境破壊は無辜(むこ)の民の苦しみを増すことにつながろう。中東への非軍事の人道支援がさらに求められる。それが後藤健二さんの遺志に沿うことになるのかもしれない。

(2015年2月5日朝刊掲載)

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