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社説・コラム

『論』 被爆建物 保存と活用 議論前進を

■論説委員・東海右佐衛門直柄

 原爆ドームは今、人間でいえば「健診中」だろう。

 周囲は鉄の足場で覆われ、西側にはネットが垂れ下がる。壁のひび割れや鋼材の腐食がないか、数人の作業員が丹念に調べている。3年に1度、劣化状況を把握する調査中である。

 「残すのって、こんなに大変なんだ」。通り掛かった観光客から、そんな声が聞こえる。

 そう、大変なのである。これまで保存工事や調査などで広島市は約5億円を投じてきた。爆風と熱線にさらされ、壊れかけた建物を支えるのは高度な技術を要する。さらに夏以降、初めての耐震補強工事も予定されている。

 ほかの被爆建物の保存も心配になる。広島アンデルセン旧館(被爆当時、旧帝国銀行広島支店)は、被爆した外壁を保存しながら建て替える方向という。巨費がかかるものの、公共的価値を考慮に入れて慎重に検討する。

 被爆建物を、どうすれば後世に残していけるのか。難しさをひしひしと感じる。

    ◇

 被爆建物の減少は止まらない。1996年には100施設あったが、現在は86。建物が劣化し、店舗や事務所などとしての活用に支障が出て、取り壊しが相次ぐ。

 原爆の痕跡をできるだけ後世に残したい―。80年代後半から保存を求める市民の声が盛り上がった。やむなく解体される建物の玄関や外壁などはモニュメントとして残す策も取られてきた。市民の反対を受けて解体計画が撤回されたケースもある。

 「よくぞここまで残った」。過去の経緯からそう振り返る関係者もいるかもしれない。

 しかし今、新たな課題が浮上している。耐震化だ。

 東日本大震災を踏まえ、建物の所有者にはこれまで以上の耐震補強が迫られている。被爆建物の補強は、建て替えより費用がかさむケースも多い。民間には重い負担である。

 市は民間向けに、3千万円を上限として、保存工事の4分の3を助成する制度を設けている。しかし今後、制度の上限を超えるケースが相次ぐ見通しだ。中には「10億円以上かかる」とまで見積もられているものもある。

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 このまま民間の志に委ねる形であれば、費用が賄えずに撤去が相次ぐことは、誰の目にも明らかだろう。

 にもかかわらず、保存や活用の議論はここ20年、ほとんど進まない。コンクリートの耐用年数は約70年。いま何らかの対策を取らなければ、貴重な建物が朽ちてしまう恐れが出てくる。

 そもそも、この問題が前進しないのはなぜか。それは、イニシアチブを取るべき広島県と市が、自ら所有する被爆建物の保存と活用を先送りしてきたためでもあろう。86の被爆建物のうち、著名な広島大旧理学部1号館は市の所有、旧陸軍被服支廠(ししょう)は県と国の持ち物である。

 もちろん活用するには、資金も知恵も要る。そのハードルは低くない。ただ、核兵器の非人道性を伝える数少ない「証人」だ。

 原爆の悲劇を存在自体で語る「実物」を次代に残すこと。それは将来にわたって広島という都市の価値を大きく左右するだろう。世界に発するメッセージ性も増すに違いない。

 広島アンデルセンなど民間の被爆建物の保存についても議論を急ぎたい。正直、外見からは被爆の痕跡が見えないものも多い。「原爆ドームだけ保存すればいい」。そんな意見もあろう。現実問題として、すべてを残すことは難しいかもしれない。

 戦後の広島は、あまたの「被爆建物」を消してきた。かつての復興の過程で、その価値に重きを置いてこなかったのは事実だ。

 しかし今、残された数は極めて少ない。そして多くの被爆建物は当時、救護や避難の場所でもあったことを忘れてはなるまい。そこで何があったのか。実物の建物の前に立つことで、人々の胸を揺さぶるものがあろう。

 今、必要なのは、地域ぐるみで被爆建物の価値と活用策をあらためて議論することではないか。

(2015年2月12日朝刊掲載)

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