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父の「和讃」今も心に 龍谷大教授 新田光子さん

■記者 伊東雅之

 「新たな資料収集やインタビューで今年に入って、たびたび広島に帰るようになりました」。広島、長崎両市が大学の講義を支援する「広島・長崎講座」に自身の講義が今月認定され、ヒロシマに関する仕事が再び増えている。

 龍谷大社会学部教授、新田光子さんの研究テーマは「宗教の社会的機能、戦争の社会的影響について」。その原点には被爆地の真宗寺院に生まれ、苦難を乗り越えてきた「安芸門徒」の姿をじかに見てきた記憶がある。

 平和記念公園の対岸、広島市中区猫屋町にある浄土真宗本願寺派明教寺の長女として生まれた。城下町広島とともに歩んできた同寺は1945年、原爆で全壊。徴兵され台湾にいた住職の父哲正さんと、現在の山口県和木町の親類宅に疎開していた坊守の母?子(きぬこ)さんは難を逃れたが、門徒200人以上が犠牲になった。

 「物心がついたころから、父はと言えば、大勢の門徒や近所の皆さんの前で法話をしている印象が強い」

 戦後、寺の再建に奔走した哲正さんは、同時に門徒や地域住民との触れ合いを大切にしていた。父母、兄弟、子どもを失った人…。集う人は皆、心に深い傷を負っていた。家族を助けられず生き残ったことを罪のように感じる人も多く、その苦しみは幼い自分にも伝わってきた。

 父の法話の中身は今となっては覚えていない。だが、繰り返し引用された親鸞聖人の「正像末(しょうぞうまつ)和讃」の一節は今も記憶に残る。

 「無明長夜(むみょうじょうや)の灯炬(とうこ)なり/智眼(ちげん)くらしとかなしむな/生死大海(しょうじだいかい)の船筏(せんばつ)なり/罪障(ざいしょう)おもしとなげかざれ」(阿弥陀(あみだ)様の本願は迷いの夜を照らすともしび、大海での救いの船。真理を悟れないと悲しむな。罪深いと嘆くな)

 大学時代、関心を持ったのは宗教法。「法律のどこか学問的なところに引かれたが、宗教とは離れられなかった」。大学院時代には靖国問題に見られる「政教分離」「信教の自由」にも研究の幅を広げた。1989年、龍谷大に着任後は戦前、日本が統治した旧満州(中国東北部)、朝鮮、台湾と日本宗教との関わりについて研究した。

 その一方、ヒロシマと宗教、とりわけ真宗との関わりにも関心が向く。きっかけは18年前の父の死。哲正さんは晩年自坊の歴史を小冊子にした。原爆で文書もほとんど焼失した中、「記録を残さねば」との使命感からだったが、調査が行き届かず、満足のいく結果でないことは新田さんにも分かった。「父がやり残した仕事を引き継ごう」と決めた。

 広島での真宗の歩みのほか、自坊を中心に門徒の原爆被害の実態や戦後の門徒の絆、復興の様子などを調査。歩き回って聞いた門徒の証言が大きな資料となった。その蓄積を「原爆と寺院 ある真宗寺院の社会史」(法蔵館)にまとめた。

 「門徒さんの話を聞くうちに、父が法話で語っていた親鸞聖人の教えや和讃があの時代、皆さんの心の支えにもなっていたことが分かった」と振り返る。今回の大震災被災地での心のケアにも何かお役に立てることがあるのでは、と思う日々だ。

にった・みつこ
 京都大大学院文学研究科博士課程修了。2002年から現職。専門は宗教社会学。著書に「戦争と家族」「大連神社史―ある海外神社の社会史」など。88年得度。京都市在住。

(2011年4月25日朝刊掲載)

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