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社説・コラム

差別や偏見 歴史から知る ホロコースト学ぶ意味 NPOの石岡代表に聞く 

他者との線引き 弱さ背景

 ナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を、今学ぶ意味は何か―。アウシュビッツ強制収容所(ポーランド)解放70年の日に合わせ、東京都の国連大学でシンポジウムを開いたNPO法人ホロコースト教育資料センター(東京)の石岡史子代表(44)に聞いた。(山本祐司)

 ―なぜ学ぶのでしょう。
 私たちはホロコーストを、個人では止められない「戦争の中の一つの出来事」と捉えがちだ。しかし根元には市民一人一人の差別意識や偏見があった。宗教的、民族的な違いを理由に、「あなたはこちら側の人間と違う。入ってこないで」と他者との間に恣意(しい)的に線を引き、よそ者扱いする。そんな人間の弱さが背景にあった。

 ユダヤ人かどうかの基準は、ナチスでさえあいまいだった。「医学的」「科学的」な検査をしていたが、今見ると、なんとばかげた検査かと思ってしまう。

 ナチスの政権獲得から80年たった2013年、ドイツのメルケル首相は「ホロコーストを可能にしたのは一部のナチスのエリートだけではない。差別を受け入れた普通の人々の存在もあった」と演説した。差別は日本の社会でもさまざまな形で存在してきた。歴史から学ばないといけない。

 ―なぜ起きたのですか。
 第1次世界大戦に敗北したドイツは、不況に陥り失業者が町にあふれた。人は困った状況になると、他人のせいにして自分は悪くないと思いたがる。ヒトラーは巧みに拳を振り上げて、「あいつらのせいだ」とユダヤ人を指さした。

 憎しみを植え付けるだけでなく、さらに「私たちは優秀な民族だ」と言いはやした。誇りを持つこと自体はすばらしいと思うが、何か危険の裏返しにあることは気づかなくてはいけない。選挙によってナチスは第1党になり、迫害は欧州全体に広がっていった。

 ―何をすべきでしょうか。
 世界で起きている痛ましい暴力や、傷ついた人の思いにも想像をふくらませてほしい。第2次世界大戦終結から70年のことしは、私たち日本人がアジアで奪った命や日本で失われた命にも思いをはせる年になる。何を記憶し、どんな未来をつくっていくのか。ホロコーストの歴史は、そのヒントを与えてくれると思う。

いしおか・ふみこ
 東京都出身。英リーズ大で修士課程修了。1998年からホロコースト史を教材にして命の大切さを伝え始める。2003年、NPO法人代表に。これまでに全国約900の小中高校で出前授業を重ねる。

(2015年2月2日朝刊掲載)

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