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チェルノブイリ事故25年 支援で得た経験「フクシマ」へ

■記者 金崎由美、岡田浩平、大野達寛

 旧ソ連(現ウクライナ)で1986年4月に起きたチェルノブイリ原発事故から26日で25年を迎える。ヒロシマの医師や科学者、市民はこれまでウクライナやベラルーシで、史上最悪の原子力災害に苦しむ人々の支援に取り組んできた。ヒバクシャ支援の歩みを振り返るとともに、節目の年に国内で起きた福島第1原発事故に、その蓄積をどう生かすかを考える。


<現地調査>

古里離れ 健康不安訴え

 チェルノブイリの被災者は今も被曝(ひばく)による健康不安を抱え、望郷の念にさいなまれている―。広島大平和科学研究センターの川野徳幸准教授(44)たちが一昨年から1年をかけ、元住民に聞き取り調査した結果、四半世紀をへても「事故」は終わっていない実態が浮かび上がった。

 調査は2009年6月から10年5月にかけ、ウクライナの首都キエフで実施。原発から約3キロ西にあった原発労働者の街プリピャチから逃れた事故当時7~48歳の元住民10人に、健康状態や移住後の生活水準などを聞いた。

 健康面では甲状腺に疾患が出た人が目立った。「頭痛などもある。原発事故の影響だと思う」「将来の健康が不安」などの声も聞かれた。また10人全員が周囲から「(事故の被曝者は)住居を優先的に配分されている」とやっかみなどを受けたと答えた。

 元住民は事故翌日、「3日間だけ」避難すると告げられ、街を後にした。そのため「1週間後に『もう街には戻れない』と言われ、ヒステリー状態になった」などと証言する元住民もいた。

 川野准教授はこれまで広島と長崎の被爆者についても調査。「財産や働く場を失い、コミュニティーも崩壊した。チェルノブイリの住民の経験は被爆者と共通する部分があった」と分析する。今回は、元住民の生の声を通して原発の負の側面に光を当て、原発をめぐる議論に判断材料を提示する狙いがあったという。

 福島第1原発事故でも多くの住民が避難を余儀なくされている。川野准教授は、国情の違いなどで単純比較はできないとした上で「住民の心身両面の苦労に寄り添った支援の必要性は共通する」と指摘している。


<医療協力>

診断向上へ人材育成

 核による甚大な被害を受けた広島は、被爆者医療の蓄積を現地に提供してきた。1991年4月には放射線被曝者医療国際協力推進協議会(HICARE=ハイケア)を設立。市民レベルの医療支援も続く。ただ現地の医療や生活水準向上などもあり、支援の在り方を見直す時期との指摘もある。

 HICAREは今月発足20年を迎えた。広島県医師会と広島市医師会、広島大原爆放射線医科学研究所、同大病院、放射線影響研究所、広島赤十字・原爆病院などで構成。県と市が事業費を折半し、事務局は県に置く。

 活動の柱は、医療従事者の受け入れ研修や専門家派遣。これまでにベラルーシやウクライナ、ロシア、ブラジルなど15カ国の医師、専門家を延べ1253人招いた。検診やがんの診断法などを伝えている。

 市民レベルの医療支援では、甲状腺疾患専門の武市宣雄医師(67)=東区=が1991年8月からウクライナやベラルーシ訪問を繰り返した。最近は福岡県の支援団体の活動の一環で、ベラルーシ西部ブレスト州を中心に検診活動に従事。注射器を使って甲状腺の細胞を採取し、がんを診断するノウハウなどを現地の医師たちに伝えた。

 旧ソ連の医師免許を持つロシア語医療通訳の山田英雄さん(63)=中区=は武市医師と連携して活動する一方、現地の支援態勢構築にも尽力している。HICAREが広島に招く現地の医師や研究者の橋渡し役としても人脈を生かす。

 事故から25年がたち、支援活動に対する企業や財団などの助成金は減額や打ち切りが相次ぐ。山田さんは「今後は(日本主導でなく)対等な立場での交流、支援が基本となる。現地が自立できる支援へと発展させる時期がきている」と指摘する。武市医師は「チェルノブイリで得た蓄積や経験を今度は福島で生かす番だ」と提言している。


<福島原発事故への対応は>

広島大原医研 星教授

 チェルノブイリ原発事故の被害が深刻なベラルーシで長年、放射能汚染について調査してきた広島大原爆放射線医科学研究所の星正治教授(63)に、現地の状況や、福島第1原発事故にどう取り組むべきかを聞いた。

 2009年まで30回以上現地を訪れ、特に汚染が激しいベラルーシのゴメリ州とブレスト州、ウクライナのキエフとジトミル州などで土壌のセシウム137や、子どもたちの甲状腺の線量を調べるなどした。

 その結果、放射性物質を多く含む雨が降った影響で線量が高い「ホットスポット」の存在が分かった。原発から30キロ圏外に多くみられる。隣の家とセシウムの濃度が違う事例もある。放射性物質は同心円状には拡散していない。

 広島の原爆被害は、直接被曝と「黒い雨」などによる間接被曝がある。チェルノブイリではもっぱら後者。内部被曝の実際の影響は現在も分からない。白血病やがんの増加もみられていない。一方、小児甲状腺がんとの因果関係ははっきりと出た。  福島第1原発事故で、チェルノブイリの例が取り沙汰されるが、日本人では同じように小児甲状腺がんが出る事態は起こらないだろう。ヨウ素が豊富に含まれる海藻を日常的に食べているからだ。

 チェルノブイリの教訓としては、30キロ圏外を含め土壌の放射性物質の濃度を調べ、早急に詳細な汚染地図を作るべきだ。ヨウ素131の半減期は8日。日がたつほど調査は難しくなる。

 調査の遅れは実態解明の最大の妨げとなる。(被爆65年が経過した)広島は今でも黒い雨の降雨地域の推定をめぐり困難に直面している。広島とチェルノブイリの反省を福島の被災者のために生かしたい。被爆地の研究者として当然の責務と思っている。(談)


<被害の現状と国際連携は>

医療支援NGO ウドビチェンコ氏

 チェルノブイリ原発から北東約180キロの放射能汚染地域、ロシアのノボズイプコフ市で被災し、事故後は医療支援などに取り組む非政府組織(NGO)のパベル・ウドビチェンコ氏(59)が来日した。今も続く被害の現状やヒロシマ、フクシマとの連携について聞いた。

 ―事故後の様子は。
 市は国の移住支援の対象地区だった。汚染の濃淡があり、まだら状。高濃度の土を取り去っても別の汚染地域から風で運ばれたちりが積もる。森で採ったキノコが安全かどうかも分からない。

 ―医療や教育水準の低下が深刻と指摘されていますね。
 医者や教員は事故後、市から離れた。都市部でも小児科医がいないため、眼科医が子どもを診るケースがある。私たちは甲状腺異常を調べる診療所を造ったり、なぜ森のキノコを食べられないかを子どもに教えたりしている。住民も行動する必要がある。

 ―福島第1原発の被災者への助言は。
 周辺住民が被曝せずに暮らすにはどうすればいいかという情報を発信し続けないといけない。特にお年寄りへの支援は重要だ。被災地から企業が出ていかないよう行政も努力すべきだ。

 ―ヒロシマ、ナガサキ、フクシマの被害者とどう連携しますか。
 核被害は個別問題ではなく、人間が生き延びるために原子力をどう考えるかという重要な問題を突き付けている。次の被害を起こさないよう、危険性を共に訴え続けたい。


<HICARE 20年の成果は>

土肥会長

 HICAREの会長を務める土肥博雄広島赤十字・原爆病院長(65)に、20年の活動成果や今後の課題を聞いた。

  ―チェルノブイリ原発事故を受けて設立され、ウクライナやベラルーシなど各国から研修生を受け入れてきました。手応えは。
 研修生は帰国後、被曝者医療の分野で指導的役割を果たしている。現地で自立して検診活動ができるまでになり、技術供与は成功している。

 ヒロシマの医療機関、研究機関、行政がすべて加わるHICAREならではの成果だ。被爆者の尊い犠牲の上に蓄積された経験を生かし、他に例のない人材育成事業となっている。

 ―現地での成果は。
 ベラルーシなどでは甲状腺の細胞診の技術が普及した。患者から注射器で甲状腺の細胞を取り出し、その組織のがんを特定する重要な技術だ。

 ただ国によって人材育成の程度に差はある。ベラルーシはミンスク、ブレストなどでうまく機能している。一方、ウクライナは広島で培ったノウハウを医師間で共有するには至っていないようだ。

 ―課題はありますか。
 研修生を派遣してくる医療機関や研究所が固定化している。もっと広げていきたい。彼らが広島で研修し、帰国した後に母国内で医師や研究者のネットワークをつくる支援も進めたい。

 足元の広島での人材育成も課題だ。昨年、国際原子力機関(IAEA)と人材交流などの覚書を交わした。IAEAに広島の医学生を留学させるなど、国際的に被曝者医療を担う人材を育てたい。

 ―チェルノブイリへの今後の支援をどう考えていますか。
 事故から25年が過ぎたといっても支援は変わらず続けないといけない。(事故の復旧作業に駆り出された作業員がいる)バルト3国も含め続ける。研修生たちとの心のつながりを大切にしていきたい。

どひ・ひろお
 広島大医学部卒。1984年に広島赤十字病院の医師となり、2004年に院長。同年、HICARE会長に就任した。専門は血液内科。


府中市の市民団体ジュノーの会 被災者支援の活動拡大

 府中市の市民団体ジュノーの会(甲斐等代表、約500人)は1988年、チェルノブイリの被災者を支援しようと発足した。会の名前は原爆投下後の広島で被爆者支援に従事したスイス人医師マルセル・ジュノー博士(1904~61年)にちなむ。

 91年から約40回にわたってウクライナに医師や被爆者たち計200人を派遣。甲状腺がんなど千人以上の患者を診療しカルテを渡した。現地からも約30回、医師や教師、子どもたち計70人を招き、交流を重ねている。

 これらの経験を基に、福島第1原発事故の被災者にも玄米や梅干しなどの支援物資を送っている。甲斐代表は「フクシマにチェルノブイリやヒロシマ、ナガサキの経験を届けたい」と話している。


■放射能をめぐる主な出来事や事故■

1945年8月 広島に原爆投下▽長崎に原爆投下
1954年3月 米国がビキニ環礁で水爆実験。第五福竜丸が被曝し乗組員23人のうち1人が9月
         に死亡
1979年3月 米スリーマイルアイランド原発2号機で大規模な炉心溶融。放射性物質が放出
1986年4月 旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原発4号機で原子炉が爆発、火災
1999年9月 茨城県東海村のジェー・シー・オー東海事業所で臨界事故。3人被曝、うち2人死亡
2011年3月 東日本大震災に伴い、東京電力福島第1原発事故

(2011年4月26日朝刊掲載)

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