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社説・コラム

『潮流』 「悪夢の日」ではなく

■論説委員・岩崎誠

 「白々と悪夢の夜は明けた」。3・11が近づくたびに読み返す文章は、そう始まる。仙台市に本社を置く河北新報の菊池道治記者が書いた、大震災当日から翌日にかけてのルポだ。

 単行本の「河北新報のいちばん長い日」にも収録された名文である。4年前は気仙沼総局長。三陸有数の水産の街で身をもって津波の脅威を経験した。

 その日の様子を本人からじかに聞いたこともある。総局のあるビルに避難してきた住民たちに食料を、とコンビニに走る途中で津波に巻き込まれたそうだ。死を覚悟したが、何とか助かる。近所の人に衣服や食事の世話になりながら。

 停電の中、あり合わせの紙に手書きしたという記事は緊迫の場面をむしろ淡々と描く。そして「現実感の乏しい地獄絵図の世界で頼れるのは、そこに確かにいる身近な人だけだ」と。まさに被災者でしか語れない実感だったに違いない。

 もう一つ忘れがたいのは阪神大震災当時に神戸新聞論説委員長だった三木康弘さんが書いた社説だ。国内外に共感の輪を広げた。

 自宅で生き埋めとなった父の亡きがらが3日目に見つかる。その体験と自らが感じたことを率直につづって「この街が被災者の不安やつらさに、どれだけこたえ、ねぎらう用意があったか」と問うた。20年たっても重く響く言葉だろう。

 わが身わが仕事を思う。本紙で社説やコラムを担当して6年になる。多発する災害はもちろん国内外のニュースと日々向き合う。傍観者になるな、当事者の気持ちに立てと二つの文章は教えてくれる気がする。

 菊池さんのルポは、こう結ばれる。「余震と火災はやまないけれど、悪夢の日ではない、長い復興の道に踏み出した最初の日なのだろう」。絶望だけでは始まらない。厳しくても希望を見いだしてこそ―。その視座もまた肝に銘じたい。

(2015年2月28日朝刊掲載)

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