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『フクシマとヒロシマ』 原発事故時30キロ圏に被爆者8人居住

■記者 下久保聖司、河野揚

被爆者 放射線の恐怖再び 家や仕事 失う不安

 東日本大震災による福島第1原発事故時、原発から半径30キロ圏内に、広島、長崎の被爆者8人が住んでいたことが、福島県と同県原爆被害者協議会の調べで分かった。66年前に原爆放射線にさらされ、今また放出の続く放射線の恐怖に直面。家や仕事を失う不安も募らせている。

 同協議会によると、県内の被爆者健康手帳保持者は93人(5日現在)。30キロ圏内の8人は広島と長崎の被爆者が4人ずつで、男性6人、女性2人。

 立ち入りが禁止されている半径20キロ圏内の「警戒区域」には4人が暮らしていた。内訳は、原発がある大熊町に1人、田村市2人、南相馬市1人。このうち田村市の女性1人は自宅にとどまっているとみられ、そのほかはそれぞれ秋田県や神奈川県内の知人宅などに避難しているという。

 原発から20~30キロ圏内の「緊急時避難準備区域」には4人。いずれも南相馬市の中心部などに住民票を置く。5日現在、2人は自宅で生活し、1人は知人宅に避難中。もう1人の所在は把握できていない。

 このうち、原発から28キロの同市鹿島区で暮らす岡実さん(85)は震災で停電と断水の被害に遭い、家族5人とともに県内や山形県の親類宅やホテル、避難所などを転々とし、4月上旬に戻った。

 1945年8月6日、旧陸軍船舶通信補充隊(暁第16710部隊)の兵舎があった広島市南区で閃光(せんこう)を浴びた。約2カ月後、南相馬市に帰郷。それ以降60年余りにわたり酪農で生計を立ててきた。

 しかし原発事故で原乳は出荷制限に。停電や断水の影響もあり、46頭いた牛はすべて売り払った。4年前に胃がんの手術も経験した。「臭いも色もないのが放射線。原爆はボーンとさく裂したが、今回は原発から音もなく、ちょびちょび出とる。そりゃあ、みんな恐れる」。空っぽになった牛舎で、憤りを表現した。

 やはり広島で被爆した福島県原爆被害者協議会の星埜(ほしの)惇事務局長(83)=福島市。「住民に健康被害が出た場合は、十分なケアが必要だ」。自ら直腸がんなどの後遺症に苦しんだ経験からもそう訴える。

 核の「平和利用」といわれた原発から放射性物質が放出され続けている。その影響は数十年単位で見ていく必要がある。ヒロシマが66年にわたって蓄積してきた被爆者医療や土壌調査などをフクシマでどう生かすのか。現地での取材を軸に探る。

(2011年5月6日朝刊掲載)

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