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社説・コラム

『潮流』 知られざるモニュメント

■ヒロシマ平和メディアセンター編集部長・宮崎智三

 広島市中心部を見下ろす三滝寺。清流のせせらぎだけが響く石畳の参道を進むと、鐘楼の少し先に、ようやく見えてきた。ナチスドイツによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の犠牲者を慰霊するモニュメントだ。

 なぜ、この場所に。広島の市民団体がポーランドを訪れた際、託された遺骨を安置している。恥ずかしい限りだが、原爆とホロコーストの関係を調査している米国の研究者に教わるまで、存在も歴史も知らなかった。

 碑の裏に回ると、1973年の建立と刻まれている。被爆地広島とアウシュビッツとのつながりの意外な深さの証しなのだろう。

 1960年代には、広島からポーランドのアウシュビッツに向かう平和行進が行われた。「広島とアウシュビッツは残酷な集団殺害のシンボル。二度と繰り返さぬため世界の人たちに訴えよう」。1年がかりで到着すると、そんなあいさつで歓迎された。

 80年代には、黒瀬町(現東広島市)によるアウシュビッツ記念館の建設計画が持ち上がった。ただ、ずさんな計画は10年足らずで頓挫する。以降、双方を結ぶ市民レベルの動きは十分だったろうか。

 ホロコーストと原爆投下を同列に論じることに、違和感を持つ人もいるだろう。もちろん、犠牲者の数は広島・長崎と比べて桁違いに多い。背景や加害の問題など違う点を拾い上げれば、きりがないのかもしれない。

 だからこそ、共通点に目を向けたい。直面している課題もその一つ。被爆者や強制収容所からの生還者たちの証言をあとどれぐらいの間、聞くことができるのだろうか。

 今月22日、広島の大学生・高校生8人がアウシュビッツに向け旅立つ。ホロコーストを学ぶツアーだ。新たなつながりづくりに取り組む若者たちを、広島を挙げてサポートしていきたい。

(2015年3月5日朝刊掲載)

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