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社説・コラム

『書評』 福島と原発3 福島民報社編集局編 「心の復興」には程遠い

 副題は「原発事故関連死」。「震災関連死」ではない。地方紙の福島民報は事故翌年の11月から「原発事故関連死」と明確に位置付けたキャンペーン報道を続けている。「原発事故で死者はいない」と公言した電力関係者もいた。では、避難生活を強いられて心労をためこみ、死期を早めた人たちはどうなるのか。

 実名報道にこだわったこともあり、取材は難航したという。遺族には「死なせてしまった」悔いが残り、不条理への不満より悲しみが上回っていた。それだけに取材に応じた人たちの話はどれも重い。突然死だけでなく自死、それもわが身を焼き尽くす自死まで…。

 飯舘村に住んでいた高橋清さんの妻広美さんは、避難先の福島市でくも膜下出血に倒れた。東京電力に賠償請求する時、弁護士に相談すると生活状況など因果関係を証明できるのか聞かれた。清さんは言う。「賠償金が欲しいんじゃない。女房が原発事故で死んだと認めてほしいだけなんだ」

 収録された昨年5月の主催座談会の発言からも分かる。原発事故によるストレスがどれだけ命を縮めるか、認定するのは難しいという。原発事故関連死は、市町村ごとに判断がまちまちで、特化した認定基準がいまだにない。県独自の取り組みが必要なのだ。

 問題はほかにも根深い。人はどんな最期であっても、その後は安らかな眠りに就きたい、就かせたいと誰しも思う。ところが、地震で墓石が倒れ、空間放射線量も高い土地では、納骨の見通しが立たない。

 普通なら天寿を全うしたとたたえられる102歳で、埼玉県の避難先で亡くなった双葉町の山本ハツミさん。「お母さんは生きていても双葉に帰れなかったし、死んでも帰れない」と遺族は無念を代弁する。「心の復興」など程遠い。

 3部構成で、第2部は直接死の犠牲者を悼む「あなたを忘れない」、第3部は懸命に前を向こうとする県民を描く「今を生きる」。避難者を含めて多くの県民に一字一句読まれる地元メディアならではの苦悩が、第3集の本書でも確かに伝わってくる。(佐田尾信作・論説主幹)

早稲田大学出版部・3024円

(2015年3月8日朝刊掲載)

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