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社説・コラム

社説 東京大空襲70年 「一般戦災」調査を急げ

 折り重なる焼け焦げた遺体。甚大な被害を伝える新刊の写真集を開き、思わず目を背けた。米軍の無差別爆撃で首都の下町が焦土と化した東京大空襲からあすで70年になる。

 投下された焼夷(しょうい)弾は38万発ともいわれる。死者は推定で約10万人。子どもやお年寄りを含む弱者も多く含まれていた。原爆投下と同様、世界史上まれな非人道的行為というほかない。

 前年から本土への空襲は続いていたが、軍需工場が主な標的だった。この大空襲を境に、米国は人口密集地をまるごと焼き払う作戦に転じる。主要都市の市街地爆撃をエスカレートさせ、広島と長崎につながっていく。

 戦後70年のことし。日本への空襲が何をもたらしたのかを見つめ直すべきであろう。

 むろん当事者の訴えにも十分に耳を傾けたい。「このままでは死にきれない」。被害が大きかった東京・浅草で先週開かれた集会で出た声である。各地の空襲被災者らの協議会などの主催で、民間人の戦争被害の救済を国にあらためて求めた。

 「一般戦災」と呼ばれる民間の空襲被害は何の救済措置のないまま今に至る。総額で50兆円以上もの恩給や年金の対象となった軍人軍属や、国による一定の調査と援護がなされた原爆被爆者と比べ、これでいいのかという長年の問い掛けは重い。

 国は「戦争被害は国民等しく受忍すべきだ」との論理で拒み続ける。ただ民主党政権時代に国会で前向きな動きが芽生えたこともあった。「空襲被害者援護法」制定に向けた超党派の議員連盟が発足したからだ。国の責任による実態調査のほか犠牲者遺族への弔慰金などを盛り込む要綱もできた。しかし、法案提出に至らないまま政権交代で頓挫してしまう。

 ここにきて議連を再開させる動きがある半面、政府や国会の関心は高いとはいえない。戦争という国策が招いた国民の被害に対し、国家として本当に何もしないままでいいのか。節目の年だからこそ与野党で再度、議論を尽くすべきであろう。

 例えば空襲当時の社会状況にも目を向ける必要がある。戦時下の「防空法」は都市からの退去禁止や空襲時の消火義務を住民に負わせていた。そのために逃げられず、被害が拡大したという分析もあるためだ。

 もちろん救済が仮に実現するにしても現実的には難しい問題に直面しよう。何よりの前提となる国や自治体による被害の把握が不十分なことである。

 中国地方でみても繰り返し爆撃に見舞われた軍港都市の呉をはじめ、福山、岩国などの空襲の全容は解明できているとは言い難い。死者の数も、あいまいにしたままのところがある。地域としての風化に、手をこまねいているようにも映る。

 当時を知る人は高齢化が著しい。少なくとも言えるのは今のうちに調査をしないなら、70年前の悲惨さを掘り起こす機会が失われてしまうことである。

 国の姿勢のいかんにかかわらず足元の空襲で誰が亡くなったのかをできる限り調べ、公的な名簿にしておく。住民の協力を得て自治体ごとにすぐにも取り組めることではないか。

 多くの日本人が戦争の恐ろしさを肌で味わったのが空襲といえよう。その記憶を継承するためにも一歩踏み出したい。

(2015年3月9日朝刊掲載)

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