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被爆地の絆 祈り新た 広島・長崎宗教者平和会議30年 「行動」への決意 声明に

 神道、仏教、キリスト教の各宗派でつくる広島県宗教連盟が、同じ被爆地の長崎県から宗教者を招いて「広島・長崎宗教者平和会議」を広島市中区で開いた。両県を交互に毎年行き来して開き、ことしで30年。被爆70年の会議では、核兵器廃絶や平和を願う声明を採択した。はぐくんできた被爆地同士の絆や、深めてきた学びを生かし、世界に向けて平和の祈りを広めていく決意を新たにした。(桜井邦彦)

 「祈りに加え、声明に行動する要素も入れられないか」。広島市中区の広島カトリック会館に集まった両県の宗教者約40人が2月半ば、声明について活発に意見を交わした。声明は、広島県宗教連盟が起草し、「宗教は対立を生み出すものではない」などと主張。戦争や紛争、テロのない世界を目指した祈りを世界の宗教者に呼び掛けた。

 起草委員(6人)の1人で、高野山真言宗三瀧寺(広島市西区)の佐藤元宣住職(58)は「祈りを大切にし、大勢の人に伝わるよう平易な言葉を選んだ」と、声明に込めた思いを説明する。

 会議では、イエズス会長束修道院(安佐南区)の塩谷恵策神父(75)を講師に、ローマ法王(教皇)ヨハネ・パウロ2世(在位1978~2005年)の平和アピールについて学んだ。塩谷神父は、新約聖書のマタイ福音書から「剣をとる者は皆、剣で滅びる」などのイエスの言葉を引用し、軍備縮小や平和を世界へ訴えたアピールの意義を強調した。

 宗教者平和会議は、神道と仏教、キリスト教、諸宗教でつくる長崎県宗教者懇話会が86年に広島側へ呼びかけて始まった。最初のころは、飲食しながら互いに親睦することが主だったという。

 会議に当初から関わる広島東照宮(東区)の久保田訓章宮司(82)は「交流を重ねるごとに仲良くなれ、異宗教間の心の垣根を取り除けた。思いをぶつけ合える関係は、核兵器廃絶に向けた活動の大きな力になっていると思う」と強調する。

 13歳のときに広島で入市被爆した久保田宮司。8月9日、原村(東広島市)から広島駅に着いて見た焼け野原は鮮明に記憶している。原爆投下の翌年から数年、8月6日になると爆心地へ通った。そこには花や盆灯籠が山のように積まれ、さまざまな宗派の宗教者が祈りをささげていた。

 「賛美歌を歌ったり、般若心経を唱えたり。自然発生的に宗教者が爆心地に集まっていた。慰霊や、祈る思いに宗教の違いは関係ないと感じた」と久保田宮司。それが、47年に発足した広島県宗教連盟の原点であり、長崎との交流にもつながってきたという。

 広島県宗教連盟の理事長で日本キリスト教団広島東部教会の月下美孝牧師(72)は「原爆の惨状を知らない世代が増える一方で、大量の核兵器が今なお残る。ともに学び、手を携えて祈り、声明を出す活動そのものがとても意義深い」と話す。

 声明は今後、核兵器保有国などの在日大使館に郵送する。6月には両県の宗教者が合同でバチカンを訪れ、教皇フランシスコに手渡す。一行が採択後に早速訪ねた広島市役所では、教皇の被爆地訪問を働き掛ける市長メッセージの作成を依頼。応対した西藤公司副市長は応じる意向を示した。

 今回の長崎側の訪問団団長で、浄土真宗本願寺派玄成寺(長崎市)の楠達也住職(76)は「声明を単なる文章にとどめず、宗教者として動く。その具体的な行動の一つがバチカン訪問。これからもヒロシマとともに歩みたい」と力を込めた。

(2015年3月9日朝刊掲載)

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