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被災者たちの今 東日本大震災4年 <上> 定住か帰還か 「家族は一つ」 苦渋の選択

 東日本大震災の発生から11日で4年となる。福島第1原発事故や津波被害のため、広島市に避難している被災者たち。復興の見通しが立たず、定住する決意を固めた家族がいる一方、住み慣れた土地に戻る母子もいる。被災地を訪れて現地の人たちを応援する市民グループの活動も続く。それぞれの4年を追った。(有岡英俊)

 「これでやっと家族が一つになって頑張れる」。福島県飯舘村から家族5人で避難し、広島市安佐北区で暮らす青木千春さん(43)は静かに語った。ことし1月1日、村に残していた住民登録を広島市に移した。

 2011年6月、原発から約40キロにあり、避難指示区域に指定された自宅を離れた。放射線による子どもたちの健康への影響が心配だった。それでも住民登録を残したのは、役場から送られてくる広報紙などで村の情報を知り、古里とつながっていたかったから。原発の将来を考えて1票を投じたいと、国政選挙では不在者投票をしてきた。

 いつか古里に帰る―。揺れる心を定住に傾けたのは、夫の達也さん(41)が働く姿だった。広島市が募集した農家育成事業に参加し、13年春、同区にビニールハウス9棟(30アール)を建てた。達也さんは「就農後は日々の目標が定まり、生活にもめりはりが出た」。

 毎日ハウスで一緒に作業する千春さんも、農業で独り立ちした夫を支えながら広島で暮らす将来を描くようになった。高校2年から保育園児までの子ども3人も今の生活を楽しんでいる。「広島で、家族5人で暮らしていこうと思う」と前を向く。

 定住か、帰還か。避難者たちの悩みは深い。広島県のまとめでは、震災や原発事故に伴い、県内に避難または生活拠点を移した人は2月末時点で437人いる。

 西区に避難している主婦池田典子さん(39)は、帰還を決断した。小学3年の長男(9)ともうすぐ2歳になる次男と暮らし、横浜市に残る夫(41)と約1年10カ月間も別居生活が続く。

 福島原発から遠く離れた横浜市でも、事故当初は放射線量が部分的に高いとされるホットスポットがあり、子育てする環境としてふさわしいのか疑問を抱き続けてきた。保養で訪れた広島が気に入り、13年5月に移ってきた。

 今も関東地方の放射線量などを国のホームページで確認するなど不安は尽きない。ただ、夫からの仕送りだけでは二重生活を維持できない。貯金を切り崩すのも、もう限界だ。

 「本音を言えば、まだ帰るのは怖い。でも、家族は一緒にいるのが一番だし、このままだと生活できなくなる」。30日、横浜市に戻る。

(2015年3月10日朝刊掲載)

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