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社説・コラム

社説 大震災から4年 「自立」を求める段階か

 東日本大震災からあす4年を迎える。大津波や原発事故に見舞われた人たちの悲しみやつらさをあらためて思う。

 津波の被災地ではかさ上げのつち音が響き、遅れていた高台移転も前に進みつつある。高速道路の開通や鉄路復旧に向けた明るいニュースも聞かれる。

 時間がかかったとはいえ、それなりに復興への道を歩んでいるように映る。とはいえ厳しい暮らしを強いられてきた被災者の視点からはどうだろう。

 2015年度までに26兆円余りの復興予算が国費で投じられるが、地域のにぎわいは戻りつつあるだろうか。被災地からの人口流出は加速するばかりだ。

 将来の津波に備えた住宅地を整備し、商店街などを再生したとしても肝心の人が減っていくなら効果は薄らぐ。復旧しつつある鉄道にしても被災前から慢性的な赤字だった経緯がある。単にインフラを元に戻すだけで解決するわけではない。

 そうした現実も直視しなければなるまい。大切なのは被災者一人一人のニーズに、これまで以上に寄り添うことだ。

 何より住宅再建がいまだ道半ばなのは見過ごせない。仮設住宅で暮らす被災者は8万人を超え、孤独死も増えている。

 次のステップとなる災害公営住宅の整備は確かに進む。完成を喜ぶ人もいる一方、住み慣れた地域を離れることに戸惑う人もいよう。長きにわたり生活するとなれば被災前に比べ、人間関係が希薄になることで負担がかかることも予想される。

 なりわいに関してもそうだ。三陸の主産業の水産加工業でみても若い力で前向きに踏ん張る動きが伝えられる半面、いったん失った販路を取り戻すのが難しい業者もあるようだ。

 つまり地域や個人の間で復興の差がじわり広がっている。

 まして福島の場合は12万人が避難を続ける。国として帰還を促す動きもあるが戻りたくても戻れない、あるいは戻らない決意をした被災者も少なくない。厳しい現状を政府としてどこまで深刻に受け止めているか。

 15年度まで、とされてきた「集中復興期間」の後をどうするかの議論が象徴的だろう。

 被災地の側からは延長を求める声が強い。これに対して期間は延長せず、東京五輪のある20年度までを「後期復興」と位置づけて6兆円前後を追加投入する財政計画の素案が明らかになった。財政難が背景にあるのは間違いあるまい。だが規模からして妥当といえるだろうか。

 しかも被災自治体の「自立」をうたって復興事業の地元負担を検討することを竹下亘復興相が示唆し、被災地を戸惑わせている。安倍晋三首相が「東北の復興なくして日本の再生なし」と繰り返してきたこととの落差を感じざるを得ない。

 復興予算は国民全体の増税などで確保してきた。これまでは不要不急に思える事業も紛れ込んでおり、今後の事業を精査するのは当然であろう。だが首相は放射能に古里を追われた人たちにまで「自立せよ」と迫るつもりなのだろうか。

 南海トラフ巨大地震や首都直下地震など次の大災害はいつ起こってもおかしくない。東北の復興は災害の時代に生きる私たちにとっても大きな意味があるはずだ。これからも国全体で支え続ける姿勢が欠かせない。

(2015年3月10日朝刊掲載)

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