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社説・コラム

『言』 核と科学者 未来への責任どう果たす

◆物理学者・益川敏英さん

 危機感を感じている―。3・11から4年を経た今、日本を代表する物理学者の実感という。ノーベル賞を受けて6年余り。益川敏英さん(75)は京都産業大などで研究活動を続ける一方、科学技術の未来を憂う。原爆投下から70年たっても道筋の見えない核兵器廃絶に加え、戦争反対への思いを積極的に口にするのも、科学者としての良心ゆえだろう。福島と広島・長崎の教訓を、どのように考えたらいいのかを聞いた。 (聞き手は論説委員・東海右佐衛門直柄、写真・荒木肇)

 ―福島第1原発事故は人間が核エネルギーをコントロールできないことを浮き彫りにしました。
 科学者から見れば原発は商業ベースに乗っていない技術です。だからあんな事故が起きたといえます。しかし4年たち、社会全体が昔に戻りつつあると感じます。エネルギー政策を見直す議論は先細り、国や電力会社は再稼働に向けて準備を加速している。これはとんでもないことです。

    ◇

 ―原発の再稼働について否定的なのですね。
 電力会社は「原発を使わないと電気代が大幅アップだぞ。それでもいいか」と言う。一般市民はしぶしぶ容認しないといけないと思ってしまう。一方で核エネルギーを100パーセント制御する技術はまだ確立されていないということは伝えられていません。私は原発の専門家ではないのですが、一人の科学者としてよく分かります。いま再稼働させようとしている人たちで原発が100パーセント安全と確信している人は少ないでしょう。何か起きた時はその時になって考えるという事故前の対応から何ら変わっていない。この考えは危険です。

 ―再生可能エネルギーで賄えという声もある一方で、量的にはまだ限界があるのも現実です。
 自然エネルギーは不安定で、万全ではないと思います。矛盾するようですが、私は「原発技術をもう使うな」という考えではありません。化石燃料はあと300年しか持たないとされます。当然、人類はもっと長く生きるでしょう。だからこそ今のうちに石油を使いまくって後は知らんよ、ということは倫理的に許されません。いずれ人類は原発に頼らざるを得なくなるかもしれない。だから科学者は安全に使うための研究は続けるべきだと思うのです。当面は再稼働を急ぐ前に、安全に使うための技術を確立する。それが福島の教訓だと考えています。

    ◇

 ―事故前の日本の「安全神話」が厳しく追及されました。そもそも科学者の責任もあったのでは。
 福島の前にも東海村臨界事故がありました。けれど国や電力会社は安全だと言い続けた。科学者としても安全のために万全を期すというより、いかに商業ベースに乗せるか、という視点の人も多かった。今なお原発に関わってきた科学者は、事故を自分の問題と捉えていない。けれど私はもう少し違う論理が要る、と考えています。いま私が恥をさらしながら、こうしてインタビューに応じているのはそんな思いがあるからです。

 ―「違う論理」とは…。
 倫理観です。原爆が広島と長崎に投下されてから10年後、世界の著名な科学者11人が署名した「ラッセル・アインシュタイン宣言」が出されました。科学が倫理を忘れてしまうといかに悲惨な状況をもたらすのか。宣言は痛切に反省しています。昔、私も一字一句精読しました。核によって人類が滅びるかもしれないと危機感にあふれた文章です。今回の原発事故も原爆と同じように、未完成の技術の暴走を食い止められなかった側面はあると感じています。もちろん科学界だけの責任ではありませんが。

 ―核と人類のありようがまさに問われています。推進役を務める11月のパグウォッシュ会議ではどんな議論になるでしょう。
 核をめぐる今日のさまざまな問題について世界にアピールしたい。時代は変わり、核兵器についていえば超大国だけではなく途上国にも核技術が拡散しています。地域紛争や核テロのリスクも増している。時代に即した運動が必要だと感じています。

 ―若い科学者に思いをどう継承するかも大切ですね。
 その通りです。昔の若手の研究者は平和運動に触れてきました。私も米原子力潜水艦の佐世保入港について勉強し、講演会などへよく出かけたものです。そこから自分の研究がどう使われるのかについて社会的責任を感じてきました。現代の研究者にはそうした想像力が弱いんです。核兵器を生み出した科学界が自責の念を抱えて会議を開いてきた意義を、若い世代に伝えたい。

    ◇

 ―大学での研究成果を防衛装備などに生かせという声も出ています。その点をどう考えますか。
 東京大にもそんな動きがあるようですね。私は科学界がなめられているんだと思う。もともと日本の研究者は軍事利用に加担してはならないという意識が強かった。そんな動きは以前ならすぐにつぶされていたでしょう。でも、軍事と民生の区別が付きにくくなり、若い研究者には抵抗感が弱まっているのかもしれない。さらにいえば研究費の問題も背景にはあるでしょう。研究者はすぐに成果を上げることが求められる。そうしないとポストがもらえないのです。国が科学界を牛耳ろうとする危険な状態にならないか、非常に心配しています。

 ―平和問題について積極的に発言する原点に、自身の戦時下の体験があると聞いています。
 大戦末期、名古屋の自宅に米軍の焼夷(しょうい)弾が落ちました。たまたま不発で助かったのです。周囲の家はほとんど燃えました。両親がリヤカーに家財道具と私を載せて、必死に焼け野原の中を逃げていく情景を覚えています。子どもだからよく分からなかったのですが中学生くらいに思い出して、背筋が凍りました。戦争に反対というより嫌い、大嫌いなんです。あの時代を語ることのできる世代は私たちが最後。真面目なことを語るにはエネルギーが要ります。けれど生き残った人間の責務として言わなきゃならんと思うのです。

パグウォッシュ会議
 核兵器廃絶を目指す科学者の世界的組織。1954年の米ビキニ水爆実験をきっかけに、57年にカナダ・パグウォッシュ村で初会議が開かれた。その提言は核拡散防止条約(NPT)などの成立に影響を与え、95年にノーベル平和賞を受賞した。ことしは11月に長崎市で大会があり、核不拡散、北東アジアの非核化、さらに福島の原発事故などをテーマに議論する。

ますかわ・としひで
 名古屋市生まれ。名古屋大で理学博士号取得。73年、未発見の究極の粒子(クォーク)の存在を予言し、「CP対称性の破れ」現象を解いた「小林・益川理論」を発表。それが実証され、08年にノーベル物理学賞を共同受賞した。京都産業大益川塾塾頭、京都大名誉教授。

(2015年3月11日朝刊掲載)

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