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社説・コラム

社説 エネルギー政策の行方 3・11の原点思い返せ

 3・11は被災地の鎮魂と暮らし再生を祈る日である。と同時に戦後日本が築いてきた社会システムのありようを毎年、問い直すべき節目ともいえよう。

 とりわけエネルギー政策である。古里を遠く離れ、あるいは仮設住宅に身を寄せたままの福島の多くの人たちは何を思っているだろう。原発はもうごめんだという4年前の実感は、決して薄らいでいないはずだ。

 その叫びに政府は向き合っているといえるだろうか。

 きのうは原子力規制委員会の田中俊一委員長が「一部で事故の教訓を忘れつつある風潮もある」と口にした。むろんそれは許されないとの文脈だが、図らずも原発をめぐる現状を浮き彫りにしたのではないか。

 政府が「ベストミックス」と呼ぶ2030年の電源構成比率を決める時期が近づく。原発や火力発電、太陽光や風力など再生可能エネルギーなどの割合の目標値を示すものだ。

 このうち再生エネは20%以上と現在の倍にする案が浮上する一方で、原発比率は15~20%が軸となるようだ。震災前の3割弱よりは確かに低い。

 原発依存度の低減と自然エネルギーの積極的な活用は安倍政権の基本方針でもある。一見してそれを反映しているようにも思える。ただ30年には、もともと現在の48基が老朽化で大きく減る見込みだ。その中で仮に原発依存度が15%を超えるとすれば、建て替え(リプレース)や新増設まで必要となる。つまるところ実態は原発に頼り続けるということではないのか。

 現に規制委が新規制基準に適合したとし、鹿児島県などの同意手続きを終えた川内原発をはじめとして再稼働への動きは着々と進む。さらに今後想定される廃炉の費用に関し、電力自由化後も料金に転嫁できる仕組みをつくる案も出ている。

 加えて見過ごせないのは、使用済み核燃料の受け皿となる核燃料サイクルの維持にも引き続き固執していることだ。

 これでは羊頭狗肉(ようとうくにく)と言われても仕方ない。再生エネの方は掛け声の半面、普及に向けた本気度が伝わってこない。

 太陽光に手を挙げる事業者が多く、送電網の容量を超えるために全量買い取りを義務付けた制度を見直したのが昨年末のことだ。政権としては本格的に普及を促すための抜本的な対策をもっと強力に打ち出すべき段階ではなかろうか。むろん、それは太陽光に限らない。

 エネルギーの「地産地消」も国として後押しすべき一つだろう。被災地の福島では避難指示区域に指定される飯舘村の「飯舘電力」が2月から太陽光発電を始めた。同じような動きはあちこちに広がっている。森林資源を生かしたバイオマス、小水力など地域特性に応じた小型発電所も支援の対象となろう。

 さらにいえば地球温暖化対策についても原発に頼らない選択肢をしっかり考えるべきだ。その中で省エネルギーにつながる技術革新や蓄電池の開発などにもこれまで以上に国費を投じるべきであり、その負担を国民としても議論しておきたい。

 原発事故が社会に突き付けたのは効率と快適さを優先し、電気をふんだんに使う暮らしが行き着く現実でもあった。私たち自身も省エネの感覚が鈍くなっていないかを顧みよう。

(2015年3月12日朝刊掲載)

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