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社説・コラム

『論』 3・11と川柳 被災地との共感ツールに

■論説委員・田原直樹

 川柳がブームだという。そういえば、サラリーマン川柳をはじめ「○○川柳」というのをよく目や耳にする。シルバー、介護、ブラック企業、毛髪…。くらしや仕事の中で積もる不満などをおかしみとして詠む。自虐の句もあって、つい、くすっとさせられる。

 笑いとペーソスの宿る句に「ある、ある」と連帯感が広がる。生きにくい世の中だが、大変なのは自分一人じゃない。励まされ、生きる力を与えられる。また喜怒哀楽も込めることができる。

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 極限状況にあっても川柳は身近な表現方法となっているようだ。東日本大震災に関連した句集を見つけた。「震災川柳」(JDC出版)をめくってみた。

生きぬいて見届けてやる復興を

がれき道ぼくは、生きてるがんばるぞ

 被災1カ月後のことという。宮城県南三陸町旭ケ丘地区の人たちが「句会」を始めた。作句したことのない初心者ばかりだったが、沈んだ気持ちが少し晴れたら、と考えたそうだ。やがて避難所に身を寄せるお年寄りから子どもまでが、句を通して絆を結んでいった。

 ここに川柳の力が現れているのではないか。心の奥に押し込めていた悲しみ、苦しみを句にする。相手の気持ちを理解し、いたわり合う。同時に、作り手自身も吐き出したことで癒やされる。いずれも川柳の効用だろう。

 川柳学会の専務理事を務める尾藤一泉さん(54)は「インターネットの普及などで現代は人と人のつながる手段が多いといわれるが、むしろ逆に希薄なのでは。そこで共感の媒体として川柳が注目されているのだろう」とみる。

 250年の歴史を持つ川柳は、俳句よりも自由に表現でき、風刺も込められる。五七五という小さな文芸形式だが、無限の力を秘めているに違いない。

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 川柳を使って福島の原発事故を告発し、エネルギー政策を問う動きもある。「レイバーネット日本川柳班」というグループによる編著「原発川柳句集」から拾う。

原子力村が栄えて国亡ぶ

棄民という現実を知る二周年

 痛烈な句が並ぶ。これらを大書したプラカードを掲げて歩く「川柳デモ」も展開するそうだ。

 「これではスローガンですね」と川柳家の尾藤さんは指摘する。川柳表現の一つとして認めながらも、告発ツールとするならば「一句でグサリが大事」と言う。巧拙を問わずに数を並べ立てるのでは訴求力が弱くなる。研ぎすました句をぶつけてこそ、人々の心を打つ。そして権力を持つ側にとって脅威となるのだ、と。

手と足をもいだ丸太にしてかへし

 鶴彬(あきら)(1909~38年)の反戦川柳はよく知られる。軍国主義に批判的な作品を発表し、治安維持法違反で摘発され獄死した。

 このように戦争や災害に大切な人を奪われた嘆きや憤りをつづる文芸となってきた歴史が、川柳にはあるのだ。

爆炎に許せ妻子よ救い得ず

水呉れるのああうれしいと死んでゆき

 被爆から11年後の広島で原爆をテーマにした句集「きのこ雲」が故森脇幽香里さんらによって編まれた。地獄絵を思わせる。つづることで心のつかえが少し和らいだ被爆者もあったろうか。残された生々しい叫びを受け継ぎたい。

 人間を詠む文芸なんです―。本紙の中国柳壇の選者、三浦宏さん(78)は言う。人間のずるさやいとおしさも表現する。一方で「だじゃれは川柳ではない」とくぎを刺す。そこを誤解している人が増えていると憂う。言葉遊びでは人間の深い部分は捉えられず、心を動かすことはないのだろう。

 3・11から4年が過ぎた。本紙の時事川柳コーナーには今も被災者に心寄せた作品や、原発回帰を問う句がしばしば寄せられる。

 一方で文芸としての川柳は、指導者不足から「限界文芸」となっているという。

 心の内を17音で叫ぶ。読んだ人がその悲嘆に寄り添い憤りを共にしていく―。3・11を忘れず、共感を抱き続けるためにも今こそ川柳を見直したい。

(2015年3月12日朝刊掲載)

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