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社説・コラム

天風録 「「風化」の落とし穴」

 阪神大震災を知る作家藤本義一さんにとって、鼻持ちならない言い方があった。「『風化させてはいけない』という時、そこには具体的な風化防止策がなにもされない」。そんな小言を神戸のタウン誌に寄せた。震災5年後である▲雨風や日にさらされ、おのずと崩れていくのが、本来の「風化」のイメージだろう。いわば成り行きで、責任のありかを指す主語は伴わない。誰のせいでもないからと諦めを誘う語感が藤本さんは許せなかったらしい▲同じ愚を繰り返しているのではないかとの思いに、胸を突かれる。3・11が近づくにつれ、例の2文字を何度となく見聞きした。4年かそこらの歳月で、こうも風化が叫ばれるのはやはりおかしい▲広島では被爆から25年ほどして、体験の断絶が教育現場で語られる。「原爆投下の年月日さえ知らない子が現れ始めた」といった驚きであり、伝える努力を怠ってきた自戒の念でもあったろう。その危機感は、のちのち継承の営みに道を開いていく▲わが身も顧みる「忘却」以外に、言い換える2字はないと亡き作家は断じた。話を型にはめやすい「風化」に、伝える側は飛び付いてないか―。お目玉はそうも聞こえてほろ苦い。

(2015年3月12日朝刊掲載)

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