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中島本町の活気も映す

■記者 新田葉子、岩崎秀史

原爆で消えた街 37-40年ごろ
故吉岡さん8ミリ撮影動画の確認は初

 被爆前後の広島市中心部を8ミリフィルムに撮影した故吉岡信一(のぶいち)さんが、平和記念公園の一部になった中島本町(現中区中島町)もカメラに収めていたことが分かった。原爆により、市内有数の繁華街から祈りの地へと姿を変えた同町。動画が確認されたのは初めてだ。

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 平和記念公園の北寄りに位置する中島本町。特定できるのは約35秒間で、元安橋から本川橋までを結ぶ中島本通りが映る。吉岡さんが暮らし、撮影した革屋町(現中区本通)の映像と同じフィルムに収められており、同じく1937-40年ごろの撮影とみられる。

 吉岡さんの兄が営む生地卸商が中島本通りにあったことから、兄の店や通りを撮影した。昭和初期まで本通りをしのぐにぎわいを見せた中島本通り。商店が軒を連ね、本通りとはデザインが異なるスズラン灯が街路を彩る。本通りの胡子大祭(えびす講)時の映像の途中に記録されており、祭りとも思わせる人出がうなずける。

 爆心地から500メートル以内にある中島本町は原爆投下で壊滅。中国新聞の調査では、居住者の約8割が45年末までに亡くなった。同町と周辺は広島平和記念都市建設法に基づき、平和記念公園(12・2ヘクタール)に整備された。

 市公文書館の高野和彦館長は「当時の中島の動画は見たことがなく、極めてまれな資料だ。商売の様子や街の活気が伝わってくる」と話している。

 被爆時には倉橋島(呉市)の親類宅に移していたフィルムは、現在、吉岡さんの長男宏夫さん(82)=安佐北区=が保存。被爆前後の本通りを定点的に記録した映像などが残されていた。

 吉岡さんのフィルムは中国新聞と中国放送(RCC)が解析。原爆で消えた本通りや中島本町などの映像は、25日午後6時18分からの「イブニングニュース広島」で放送する。

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