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被爆者手帳「証人」なしで 元徴用工男性に広島市が交付 「供託金名簿」を基に

 大戦中に三菱重工業広島造船所(現広島市中区)へ徴用され原爆に遭った韓国京畿道在住の成世和(ソンセファ)さん(92)に対し、広島市が「証人」がいなくても被爆者健康手帳を交付したことが19日、分かった。戦後、三菱重工から未払い賃金の供託を受けた広島法務局に、成さんの名前が載った名簿があり「有力な証拠になる」と判断したため。同名簿を基に、市が交付を決めたのは初めて。

 関係者によると、成さんは1944年12月から広島造船所で働かされ、45年8月6日、日本人作業員たちとトラックで物資を運搬中に市内の路上で被爆した。戦後間もなく帰国。農業を手伝いながら暮らしたが、体調不良が続いたという。

 昨年10月、大韓赤十字社を介して手帳の交付を市に申請。市は、国が通達で交付要件に例示している「2人以上の第三者の証明」はないものの、成さんの証言の信ぴょう性が高い上、「供託金名簿」に名前があるため、17日に交付を決めた。同日、日本外務省に手帳を送付。韓国の公館を通じ本人に届けるという。

 成さんの長男、成増鉉(ソンイッキョン)さん(59)は「ようやく父の被爆が認められ、家族もほっとしている。本人にも早速伝えた。申請後に広島市の電話インタビューに、父は約1時間半くらい答えた。高齢のため入院中だが、原爆と強制連行のことはいまだにはっきり記憶している」と話した。(田中美千子)

【解説】証明は日本の責任

 広島市が初めて「供託金名簿」を基に被爆者健康手帳の交付を決めたことは、在韓被爆者にとって遅まきながら朗報といえる。同時に、援護を手にするには厚い壁があることを浮き彫りにしている。異国で強いられた被爆を70年近い歳月を超えて証明しなくてはならないからだ。日本の戦後処理が問われてもいる。

 供託金名簿は、日本の植民地支配の下に徴用され、敗戦で帰国した人たちへの未払い賃金などを各企業が国に預けたことを示す資料。広島で被爆した元三菱重工業徴用工らの訴えが2007年に最高裁で勝訴が確定した後、写しが日本政府から韓国政府へ引き渡された。2千人近い名前があるとされる。

 今回、成世和さんは名簿に記載されていることを大韓赤十字社などが確認し、広島市へ伝えた。

 45年8月6日、江波町(中区)の三菱広島造船所に在籍していたことを裏付ける記録でもある名簿のうち健在で、手帳の未取得者は他に少なくとも4人はいるとみられている。

 「徴用され被爆したことの証明を、被害者の側に求めること自体が矛盾している」と、「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」で証人捜しに努める河井章子さん(58)=千葉県=は指摘する。広島の国民学校に通っていたのがはっきりしながら証人が見つからず、今月も亡くなった被爆者がいるという。

 広島市で現在、韓国からの手帳申請の審査対象は25人を数える。申請者に被爆の立証を押し付けるのではなく本人の陳述を尊重し、日本の責任として証明に一層努めるべきだろう。(編集委員・西本雅実)

(2015年3月20日朝刊掲載)

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