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社説・コラム

今を読む JICA中国 市民参加協力課長・内藤徹 

ヒロシマというブランド 「復興」伝える連携強化を

 「ヒロシマは広島の市民が思う以上に国際的な影響力を持ち、期待されている」。昨年実施した二つのイベントで思いを新たにした。

 一つは8月にルワンダであった原爆・復興展である。20年ほど前の内戦に伴う虐殺で80万もの人たちが亡くなった国。そこから日本に逃げてきて現在は福島に住むマリールイズさんという女性の「ヒロシマをルワンダに伝えたい」という思いを、現地の青年海外協力隊有志が実現した。

 会場ではポスター、手作りの模型、写真、DVDなどを使い、原爆被害と広島の復興の様子を伝えた。その場ではテレビ電話を使って内戦で片腕をなくしたルワンダ人が広島の被爆者と、そして現地の高校生が中国新聞のジュニアライターと対談も行った。

 このルワンダ人は、被爆者の生きざまに「私たちのお手本だ」と敬意を表し、「広島の復興は未来の希望だ」と語ってくれた。戦いで身近な人を亡くし、日常が一変した経験は共通である。苦しみを乗り越え、前向きに生きる姿は国境を越えて光をもたらす。

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 もう一つ、ヒロシマの力を実感したのが6月にあった「ミンダナオの平和構築セミナー(COP)」である。JICAが包括和平合意を結んだフィリピン政府とモロ・イスラム解放戦線を広島の地に招き、今後の方針を話し合うセミナーを開催した。

 参加者は広島で開くことの価値を口にした。アキノ大統領は「広島はかつて戦った者たちが紛争をやめ、パートナーとなる話をする場としてふさわしい」と述べ、解放戦線のムラド議長は「広島を廃虚から復興させた人々からその精神を学びたい」と語った。広島という場の力が海外の指導者らの心に共鳴し、和平の推進に貢献するのだろう。

 広島が核兵器廃絶の願いを世界に発信することは言うまでもなく重要な使命だ。しかしほかにも役割がある。復興と平和の定着を、海外に伝えることだ。

 きのこ雲と焼け野原の写真はよく知られている。それゆえ現在の復興した姿に外国人は驚き、紛争経験国の人々は自国が目指すべき姿を重ねて見る。さらにいえば、原爆を投下したアメリカに敵対しない日本の姿勢は、平和への献身として映るようだ。

 既に広島ではさまざまな活動が続く。県は「国際平和拠点ひろしま構想」の三つの柱の一つに「復興・平和構築」を掲げ、県自らカンボジアでの平和教育やミンダナオの人材育成に関わっている。

 国連訓練調査研究所(ユニタール)の広島事務所もアフガニスタンやイラクなど紛争経験国の人材育成を担う。そして中国地方の拠点を広島に置く私たちJICAも海外からの研修員に復興を伝え、地域からの国際協力を推進する活動を行っている。

 ピースウインズ・ジャパン、ピースビルダーズ、ANT-Hiroshimaなど市民団体の活動も盛んで、紛争経験国への支援や交流活動に取り組む大学も多い。

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 戦後70年の今年は青年海外協力隊の派遣開始から50年であり、ユニタールの設立50周年でもある。このような取り組みをさらに発展させることで、世界で知られたヒロシマの名は、復興と平和構築の世界のブランドになるものと考える。そのためにも、今後さまざまな機関が連携し、さらに次のようなことを進めていく必要がある。

▽紛争当事者の対話の場や復興と平和構築に関する国際会議を増やすよう働きかける
▽広島の復興に関する研究成果を海外に発信し、他国の復興に生かす
▽復興と平和構築に関する人材育成の中心地として、各機関の連携を強化する
▽広島発の国際貢献活動の情報と人がつながる場づくりを進め、活動を活発にする
▽在住外国人、旅行者、留学生と市民とが対話をし、異文化を理解する機会を増やす
▽海外の和平や復興を広島の経験と重ねて伝えることで、広島市民がさらに世界とつながる

 ヒロシマの持つ力を必要とする場所がある。世界で役立つことは広島に暮らす人たちの誇りにもなるだろう。

 66年東京生まれ。米国ボストン大経営大学院で修士号(MBA)取得、住宅メーカー勤務を経て国際協力機構(JICA)入り。トルコ事務所駐在を経験し、非政府組織(NGO)連携、人材育成、地域開発などにも携わる。13年から現職。

(2015年3月24日朝刊掲載)

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