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社説・コラム

『潮流』 被爆地に新たな調べ

■論説委員・田原直樹

 きのう夜、カープ開幕戦に沸く広島の街で、もう一つ注目したい出来事があった。被爆地の祈りが込められた新たな楽曲の誕生である。地元出身の作曲家糀場(こうじば)富美子さんによる「摂氏(せっし)4000度からの未来」を、広島交響楽団が初演した。

 鐘が響く中、弦楽器や管楽器が激しく不気味に揺らぐ。ちりばめられた風鈴の音は、息絶える生命の最期の光か、再生の息吹か。やがて音楽は希望の光にあふれてくる―。

 緊張感漂う練習場を訪ねたことがある。被爆者の父を持つ作曲家や指揮者、楽団員が、曲想に合う音色やわずかなニュアンスを追い求めていた。そして昨夜は聴衆も一体となり見事完成させたといえるだろう。

 原爆への怒りや平和希求の思いから数多くの音楽が生み出され、犠牲者にささげられてきた。管弦楽曲や合唱曲、歌謡曲、ロック、ジャズ…。調査収集を進める団体「ヒロシマと音楽」委員会は2千曲近くをデータベース化したという。

 だが注目を浴びんがためと言われても仕方ないような作品もあった。昨年、他人に代作させたことが発覚し、ヒロシマと冠した交響曲のメッキが剝がれた。

 いま一つ残念なのは、楽譜が満足に残っていないために、耳にできない作品が多いという点である。

 音楽は時代の空気を映す。以前は原爆の恐ろしさ、被爆者の苦悩を表現した歌曲が多かった。時の流れとともに演奏機会は減り、表現も変わってきた。被爆者や戦争を知る世代の減少と似ているかもしれない。

 被爆70年のことし、原点を忘れぬために過去の作品も聴きたい。生々しい声に触れられるはずだ。

 ヒロシマの音楽は実際に奏でられ歌われ、核廃絶へ願いを共有できて初めて意味をなす。節目の夏が近づく。新旧、多様なジャンルの調べに、多くの人が接することを願う。

(2015年3月28日朝刊掲載)

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