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証言 記憶を受け継ぐ

『記憶を受け継ぐ』 久保悌子さん―孫のため手帳申請決意

自責の念と不安。「何か役に」その一心

 久保(旧姓久保田)悌(てい)子さん(78)は9歳の時、広島市草津(くさつ)本町(現広島市西区、爆心地から約4・1キロ)で被爆しました。しかし、被爆者健康手帳の交付を申請(しんせい)したのは、原爆投下から39年も後でした。差別される不安もあり、被爆を意識しないように暮らした日々。1984年に生まれた孫2人に心臓などの病気が見つかり、自責の念とともに手帳を取る決心をしたのです。

 被爆当時は袋町(ふくろまち)国民学校(現袋町小、中区)の3年生。4歳で母を亡くし、父は島根県に働きに行っていたため、祖母ミサヨさん(68年に87歳で死去)が面倒(めんどう)をみてくれていました。45年8月初旬(しょじゅん)、疎開先(そかいさき)の倉橋島村(現呉市)で体調を崩(くず)し、草津本町に移って大叔母(おおおば)宅で療養(りょうよう)中、「あの日」を迎えました。

 寝(ね)ていると突然(とつぜん)、部屋のふすまや障子が布団の上に倒(たお)れてきました。不安なまま布団の中にいると、若い見知らぬ男性に抱(かか)えられ、家の裏の防空壕(ごう)に連れて行ってもらいました。その後、祖母や近所の人と一緒(いっしょ)に、近くの山へ逃げました。「うめき声が市の中心部から風に乗って聞こえ、恐(おそ)ろしかった」と振(ふ)り返(かえ)ります。

 疎開前は、福屋百貨店(現中区)のそばで、カフェを営む父と祖母と暮らしていました。福屋屋上の滑り台、にぎやかに並ぶ夜店…。楽しい「夢の国」でした。しかし被爆後は当分、怖(こわ)くて足を踏(ふ)み入れられなかったそうです。

 戦後、草津国民学校(現草津小、西区)に転校。親代わりだった祖母に「勉強して身に付けた知識は、人に奪(うば)われない」と言われ、安田女子中高(現中区)、安田女子短大(現安佐南区)に進学しました。

 祖母は海で採った貝を売って生計を立てていましたが、苦しい生活でした。自宅のトタン屋根は穴だらけで、夜は星が見えるほど。制服が買えず、父の学生服に襟(えり)を付けて繕(つくろ)って着ました。参加費が払(はら)えず、ソフトボール部の合宿には行けませんでした。寒い日も服を着込(きこ)んで海に向かう祖母の背中を見て「勉強せずに私も働いた方がいいのでは」と悩(なや)んだこともあったのです。短大は奨学(しょうがく)金を得て通いました。

 「結婚(けっこん)できないから被爆したことは秘密に」と親に言われている友人もおり、被爆したことについて考えたり、表に出したりしない方がいい。そう思っていました。  20歳で結婚し、4人の息子に恵(めぐ)まれました。子どもも自身も大きな病にかかることなく過ごしました。

 それだけに、孫に病が見つかった時はショックで、大きな不安を感じました。放射能の影響(えいきょう)は世代を超(こ)えるのかどうか分からない。でも万が一、孫たちが将来、病で苦しむことがあったときに、「祖母が被爆者」との証明が原因の特定や医療補償(いりょうほしょう)など、何か役に立つかもしれない―。その一心で、手帳を取る決意をしたのです。2歳年上のいとこが証人になってくれました。

 これまで被爆体験を詳(くわ)しく語ったことはありませんでした。差別を受けた友達を思うと、被爆者であることを広く知られる不安があったからです。しかし孫(筆者)をはじめ、若い人が原爆や戦争に関心を持つことをうれしく思います。「親子や友人、育った国や宗教が違(ちが)う人、みんなが仲良くして、核(かく)のない世界を目指してほしい」。そう願っています。(久保友美恵)



■私たち10代の感想

久保さんの思い広げる

 久保さんは、平和な世の中に向けて「友達同士の小さなけんかやいじめをなくすところから始めてほしい」と願います。この思いを絶やさないよう、僕(ぼく)はジュニアライターとしての活動を一層頑張(がんば)ります。久保さんの体験記を読んだ皆(みな)さんも、けんかやいじめをなくすようにし、周囲の人にも広げてほしいです。(中1川岸言統)

一つの物を大切に使う

 久保さんは子どものころ、カボチャのへたの部分が大好きだったそうです。私には「おいしさ」が想像できませんでした。今は物があふれている時代だからでしょう。私は、これが食べたい、欲しいと心の底から思ったことがありません。今後は、感謝して食べるとともに、一つの物を大切に使っていきたいです。(中1鬼頭里歩)

周囲への感謝忘れない

 幼いころ母を亡くし、祖母に育てられた久保さんから、学生時代の貧しさや祖母の苦労話を聞き、自分がいかに恵(めぐ)まれた環境(かんきょう)にいるか気付きました。僕(ぼく)が不自由なく生活できるのも周りの人たちのおかげ。この生活が当たり前だと思わず、日ごろから感謝の気持ちを忘れないようにしたい。(高1谷口信乃)

(2015年3月30日朝刊掲載)

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