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社説・コラム

『言』 インドの核政策 ヒロシマへの共鳴 原点に

◆反原発活動家 クマール・スンダラムさん

 「核と人類は共存できない」という故森滝市郎さんのメッセージを遠く離れたインドの地で広める青年がいる。現地の市民団体「核軍縮平和連合」の上席研究員、クマール・スンダラムさん(34)だ。デリーの大学で核軍縮を学び、被爆者運動についての論文もある。国連防災世界会議参加のため来日したのを機に、核兵器を手にした上に原発を増設しようとする母国の現状と日本に果たしてほしい役割を聞いた。(聞き手は論説委員・下久保聖司、写真・高橋洋史)

  ―森滝さんの言葉に共鳴しているのはなぜですか。
 核兵器廃絶と反原発を考える原点だからです。さかのぼること10年前、「広島世界平和ミッション」の一行がインドに来た時、日本留学の経験がある私は通訳を買って出ました。初めて聞く被爆体験や平和への熱い思いに胸を打たれました。

  ―その体験が自分の生き方にも影響したわけですね。
 はい。大学院では核軍縮にテーマを絞って研究し、「広島における被爆者たちの運動、戦後日本の平和運動」と題した論文を書きました。その中で感銘を受けたのは報復より核軍縮の大切さを訴えた被爆者の歩みです。インドと隣国パキスタンが対立を深め、核兵器をちらつかせ合うのとは全く逆です。

    ◇

  ―いま、どんな運動を。
 核軍縮平和連合はインド各地の反核、反原発運動を束ねています。1998年の核実験を受け、国内の学者や平和運動家たちが抗議集会を開いたのがきっかけです。運動方針はガンジーに倣って非暴力を貫き、女性が積極的に参加しています。私が加わったのは反原発運動が広がる契機となった4年前の福島第1原発事故の後からです。

  ―今度の来日では福島も訪れたそうですね。
 事故から4年たっても多くの人が避難生活を強いられ、国や東京電力からの補償が不十分だと嘆く声を聞きました。工業も科学も進んだ日本でさえ原発をコントロールできなかった。行政も社会も未成熟なインドで同じような事故が起きたら、もっと大きな惨事となるでしょう。

  ―3・11の後、インド政府の原子力政策には変化があったのですか。
 いいえ。人口増に対応するためとして原発増設に突っ走っているのは相変わらずです。21基ある原発を将来的には倍増する計画を立てています。というのも英国からの独立翌年の48年には原子力委員会が早々とつくられ、「偉大な国」に向けた国家的事業と位置付けられてきました。インドにとっては過去2度の核実験も、同じ目的だといえるでしょう。

    ◇

  ―国民の受け止めは。
 福島の事故を受けて、確かに反原発の運動は激しくなりました。昨年1月に安倍晋三首相がインドを訪れた際には「安倍さん、あなたは歓迎しますが、原発はいりません」との横断幕を掲げ大規模なデモも行われました。しかし国民の多くは福島の現実を知りません。

  ―どうしてですか。
 原子力の担当大臣は事故直後の会見で「単なる化学事故」と説明しました。さらに反原発運動を異常者呼ばわりして反発の激しい地域に心理カウンセラーを送り込むなど、世論操作を続けているからです。

  ―そうした中、日本はインドと原発技術の供与に向け、原子力協定の協議を進めています。
 ゆゆしき問題です。わが国は核拡散防止条約(NPT)にも包括的核実験禁止条約(CTBT)にも加盟していません。使用済み核燃料を再処理すれば、核兵器の原料にもなるプルトニウムが手に入ります。現在のモディ首相が率いるインド人民党は昨年の総選挙に際し、核兵器の「先制不使用」政策の見直しすら示唆しました。

  ―近く米国でNPT再検討会議が始まります。
 日本は核不拡散を訴えるでしょう。ならば当然、インドへの原発輸出も断念すべきです。よりによって被爆国がインドの未加盟に「お墨付き」を与えたとなればNPT体制はいっそう有名無実化します。私たちが求めているのは原発ではなく再生可能エネルギーの技術です。核の脅威をこれ以上広げないのは、被爆国の責務のはずです。

 インド北部ビハール州生まれ。00年に国際交流基金の奨学生として来日し、関西国際センターで日本語を学ぶ。帰国後、マハトマ・ガンディー国際ヒンディー大を経てジャワハルラル・ネルー大大学院修士課程を修了し。現在は博士課程で学ぶ。専門は国際関係学。11年8月から核軍縮平和連合上席研究員。ニューデリー在住。

(2015年4月1日朝刊掲載)

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