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反核の表現 共感広がる 京都で「ヒロシマ・アピールズ」ポスター展 感性から戦争問う

 京都市上京区の京都佛立(ぶつりゅう)ミュージアムが終戦70年特別展として、核兵器の廃絶や平和を訴える「ヒロシマ・アピールズ」ポスターの歴代17作品を館内に展示している。ヒロシマを表現したデザイナーの思いに共感し、人々の心の内から平和を実現しようと企画した。6月14日まで。(桜井邦彦)

 ミュージアムは、日蓮聖人を宗祖とする本門佛立宗(本山・宥清寺、京都市上京区)が2012年に開館し、運営する。江戸末期に本門佛立講として宗派を開いた長松清風の遺品を公開し、「宮沢賢治と法華経展」「ブラジルと仏教展」などの企画展を開いてきた。平和をテーマにした特別展は初めてとなる。

 会場には日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA、東京)初代会長の故亀倉雄策氏による1983年の第1作「燃え落ちる蝶」から、アートディレクター井上嗣也氏の「記憶」(2014年)までが並ぶ。

 作品は、所有するJAGDAが貸し出した。宗教系ミュージアムでの初の展示。アートディレクターでJAGDA会長の浅葉克己さん(75)=東京都港区=は「現代は戦争という危ない方向に向かっていると感じる。ポスターを見た時の感動が、それぞれの心の中で光を放ち、平和への祈りが広がれば」と期待する。

 83年に始まったポスター作りは、90年から15年間の中断を経て05年に再開した。JAGDAとヒロシマ平和創造基金(広島市中区)、広島国際文化財団(同)が毎年、会員のデザイナーに依頼している。

佛立ミュージアム・長松館長に聞く

人の業 見つめる契機に

 本門佛立宗の僧侶で京都佛立ミュージアムの長松清潤館長(46)に、展示の狙いや、仏教が平和の実現に向けて果たす役割などを聞いた。

 ―ポスター展を企画した理由は。
 ここは、人の心を癒やす生きた仏教のミュージアム。終戦70年で多くの人が戦争について考えることができる展示を、と企画した。僧侶が押し付ける形ではない内容を考え悩んでいたとき、このポスターの存在を知って「これだ」と思った。

 ―ポスターのどこに共感したのですか。
 作品が政治、思想、宗教を超え、中立の立場で描かれている点。そして「戦争は独善的な正義と正義の戦い」という、JAGDA初代会長の故亀倉雄策さんの言葉にも共感した。亀倉さんの描いた最初の作品は、美しいチョウが、無数に燃やされ落ちていく。それは地獄に変わる瞬間。長い文章は心に残らないが、このポスターは説教じみておらず、見る側にじわじわと感じさせるものがある。

 ―平和の実現のためにまず必要なことは。
 平和な世界は、人の心が穏やかじゃないと築けない。仏教の立場で言うと、人は欲望、怒り、おろかさを抱えて生きている。いわば「三毒強盛の凡夫」だ。私たちの宗派では、仏様と同じ心になろうとし、お題目を唱える。唱えている時間は心が平和だが、そこから離れると、また煩悩がよぎる。人は、鬼にも悪魔にもなる可能性があり、それが戦争や原爆投下につながってきたと思う。自戒こそが大事。

 ―仏教者の役割は。
 仏教は平和の宗教といわれているが、そうだろうか。みな正義を振りかざすが、仏教を信奉する集団や人々が、戦争に加担してこなかったかというとそうではない。人の業は奥深く、欲望は果てない。私たちも含め、よほど自戒しないと平和を守れない。宗教者も過去を振り返り、心の平和を目指して努力したい。

 ―来館者に何を感じてほしいですか。
 ポスターは鋭い感性で描かれ、国や民族、言葉の壁を越えて、見た人々の心を平和と反戦の祈りへ導く。言い方は悪いかもしれないが、ヒロシマは絶対に忘れてはいけない教材。私はかつて広島を5度訪ねた。あれだけ悲惨な体験をしながらも復興を遂げ、世界に平和を70年間訴えてきた姿はすばらしい。京都は戦争や平和への意識は薄いと感じる。じっと眺め、じっと心でかみしめてほしい。

(2015年4月6日朝刊掲載)

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