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社説・コラム

『この人』 福山市原爆被害者友の会の会長に就いた被爆2世 藤井悟さん

父の「声」胸に 証言継ぐ

 「原爆を体験していない自分でいいのか。本当に被爆証言を引き継げるのか」。会長就任を打診され、一晩悩んで決断した。「やってみい。逃げるな」という父の声が聞こえた気がしたという。

 福山市原爆被害者の会が3月末、役員の高齢化を理由に解散した。これを受け、新しい被爆者団体として「福山市原爆被害者友の会」が今月4日に発足。そのトップに就いた。広島県内で被爆者団体の会長を被爆2世が務めるのは初めてだ。

 1978年に62歳で亡くなった父は戦時中、炊事担当の軍曹だった。あの日、爆心地から約2キロの陸軍第二総軍司令部(現広島市東区二葉の里)で被爆した。近くにいた戦友は爆風で飛ばされ亡くなった。自分だけ生き残ったという負い目からか、父は被爆体験をほとんど語らなかった。ただ酒を飲んだ時、ふと、むごたらしい原爆の話を口にした。

 自身は福山市社会福祉協議会の職員を経て福山平成大教授を務めた。福祉の現場に通算で40年余り関わった。障害がある子の親と膝をつき合わせ、対話する日々。「当事者でなくても、その苦しみ、つらさを分かりたい、分かり合いたいとの思いを持つことが大切」と学んだ。

 会長を引き受けると決めた後、父の墓前で「うまくいくよう見守ってほしい」と伝え、誓った。「核兵器の廃絶、平和を訴える基盤となる組織を福山の地からなくさない」

 被爆70年の節目に発足した友の会は被爆者27人、2世15人の計42人でスタート。設立総会で「私たち2世が被爆者の心を引き継ぐ」と強調した。被爆者の証言を集めて記録し、若者との交流を進める考えでいる。趣味はカラオケ。ご当地ソングが好き。福山市で妻と2人暮らし。(小林可奈)

(2015年4月7日朝刊掲載)

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