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「大和沈没の悲劇 命の限り伝える」 福山 元乗組員八杉さん

 「人をあやめ合う戦争の道を再び選んではならない。命ある限り、大和の悲劇を伝えたい」。戦艦大和の沈没から70年がたった7日、元乗組員の八杉康夫さん(87)=福山市野上町=は自宅で当時を振り返った。

 17歳だった、あの日のことは鮮明に覚えている。1945年4月7日。米軍が上陸した沖縄に向かっていた大和は、九州南西沖で米軍機と交戦状態に入った。「攻撃は左舷に集中し、甲板は血で染まった。頭や体の一部を失った遺体がたくさんあった」

 大和が攻撃を受けて沈む時、八杉さんは海に飛び込んだ。船体が爆発し、漂っていた自身の足にも破片が刺さった。「助けて」と叫ぶと、同じように海に浮いていた上官は「若いんだから生きるんだぞ」と丸太を譲ってくれた後、姿が見えなくなった。一緒に丸太にしがみついて助けを待った16歳の少年兵は力尽きた。「いろいろとありがとうございました」との言葉を残し、波間に沈んだという。

 乗組員3332人のうち、生き永らえたのは八杉さんを含め276人。生き残った仲間も次々に鬼籍に入った。「自分が生かされた意味を考えたい」と約20年前に始めた証言活動は、既に全国各地で600回を超えた。「戦争をしちゃいけない。かつての日本のように、若い人が死んではいけない」。思いは強まる。(小林可奈)

(2015年4月8日朝刊掲載)

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