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引野の子ども 戦災の記録 福山空襲や疎開 一冊に刻む すぐ近くに焼夷弾/先生が叫びながら点呼…

 福山市の引野学区まちづくり推進委員会が、冊子「戦争の中の子どもたち」を発行した。戦時中の引野村(現引野町)の暮らしや、1945年8月8日の福山空襲の被害に関する証言などを集めた。(小林可奈)

 A4判、116ページ。引野の戦災▽学童疎開▽学徒勤労動員▽校舎再建▽満蒙開拓青少年義勇軍―の5章で構成。引野村で戦争を体験した約30人が、子どものころの記憶を基に、聞き書きに協力したり、手記を寄せたりした。学童疎開で現在の大阪市福島区から引野国民学校に身を寄せていた人も証言している。

 市街地の約8割に当たる314ヘクタールが焼失し、350人余りが犠牲になった福山空襲については「すぐ近くにものすごい数の焼夷弾(しょういだん)が落ちていた」「先生が泣き叫びながら点呼を繰り返した」などと、生々しい描写でつづる。

 同委員会によると、引野村では学校、役場に加え、民家26軒が火に包まれた。死者はいなかったが、少なくとも3人が負傷したという。

 「水に溶かした米粉に黄色い粉を混ぜ、干からびたようなねぎを切って入れ、卵焼き風にしたものを作った」など、当時の食料不足についても記されている。

 同委員会の藤井和寿事務局長(67)は「子どもから食べ物や勉強の自由を奪う戦争の恐ろしさを知り、戦争を繰り返さないでほしい」と願う。600部印刷。市内の図書館や引野公民館で閲覧できる。同公民館Tel084(941)6665。

(2015年4月8日朝刊掲載)

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