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広島県「国際平和拠点構想」策定始まる 被爆者の声 どう反映

■記者 村田拓也

委員 著名人ぞろい 市との連携も課題

 核兵器廃絶や平和復興で広島が果たすべき役割を提言する広島県の「国際平和拠点ひろしま構想」の策定作業が始まった。策定委員会の委員には、明石康元国連事務次長たち国内外の著名人が顔をそろえた。核兵器廃絶や国際平和に向けて世界に説得力ある道筋を示すことができるのか。実現への課題を探った。

 5月24日付で発足した策定委は湯崎英彦知事を含めた委員9人で構成する。元外相の川口順子氏やオーストラリア元外相のギャレス・エバンズ氏たちが名を連ねる。記者会見で湯崎知事は「国際的に非常に権威ある方々がそろった」と語った。

 構想では、(1)核兵器廃絶に向けた手順づくり(2)平和の障害となる紛争や貧困の解決(3)核兵器廃絶後の安全保障の在り方―の課題をどう解決するかを提言する。平和研究成果の収集・発信や非政府組織(NGO)の支援、復興を担う人づくりや平和メッセージの効果的な発信方法などが盛り込まれる予定だ。

 構想策定は、湯崎知事が2009年11月の知事選で掲げたマニフェスト(公約集)の一つ。「広島が永続的に世界平和に貢献するための土台」(湯崎知事)と位置付ける。広島市で10月にある策定委の会合で決定し、11月には湯崎知事が米ニューヨークの国連本部で発信する。

会合1度だけ

 知事が委員の人選で基軸にしたのが「世界の視点」。国際政治が専門の東京大大学院の藤原帰一教授にまず就任を依頼し、人選では中心的な役割を担ってもらった。そして象徴的な人選が、米クリントン政権で国防長官を務めたウィリアム・ペリー氏だ。米国の安全保障を担った人物を議論に加えることで現実的な構想に仕上げる狙いがある。

 一方で、国内外の著名人を委員に招いたことでの難点もある。日程調整が困難なため会合を開くのは10月の1度だけ。策定委事務局の県国際課は「メールなどで意見交換しながら構想をまとめる」という。実務は藤原教授や広島大、広島市立大、広島修道大の3人の研究者たちでつくる作業部会が担う。

 県議の一人は「著名かどうかに委員の人選の基準が偏りすぎている。ヒロシマの立場でものを言える人がいない」と指摘する。これに対し、明石座長は「広島のみなさんが思っている以上に、ヒロシマの世界での知名度は高い。被爆者の視点は十分に反映できる」と説明する。

分担も縦割り

 さらに構想の具体化には県と広島市の連携も課題だ。これまで県は国際貢献や紛争地域の復興支援を、市は核兵器廃絶や被爆体験の継承をそれぞれ担ってきた。

 その役割分担の路線は藤田雄山前知事と秋葉忠利前市長の時代に強まった。県が主導した2003年の国連訓練調査研究所(ユニタール)広島事務所の開設では経費負担をめぐって市が難色を示した。

 県もまた、平和市長会議の加盟都市を約4700にまで増やすなど核兵器廃絶の国際的な世論づくりを進めた秋葉市政と距離を置いてきた。県と政令指定都市の縦割り行政の側面ともいえる。

 5月27日、広島市役所であった湯崎知事と4月に就任した松井一実市長とのトップ会談。構想への協力を求める知事に、松井市長は「核廃絶に向けて大きな意義がある。県と市が連携し、多様な取り組みを進めることが重要だ」と応じた。構想づくりに向けては、平和市長会議のネットワークを生かすなどの県と市の具体的な連携が問われてくる。

平和市長会議
 1982年に広島、長崎両市長の呼び掛けで発足した「世界平和連帯都市市長会議」が前身。広島市長が会長、長崎市長が副会長を務める。秋葉忠利前市長の任期中の12年間で加盟都市数が大幅に拡大。就任当初の464都市から、4732都市(2011年6月1日現在)になった。2003年10月、英マンチェスター市での理事会で、20年までの核兵器廃絶を目指す「2020ビジョン」キャンペーンを承認した。

(2011年6月6日朝刊掲載)

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