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連載・特集

ホロコーストを学ぶスタディーツアー 大学生の思い 平和のため私は動く

 被爆・終戦70年を機に企画された、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)について学ぶ欧州スタディーツアー(主催・公益財団法人ヒロシマ平和創造基金)には、広島県内の大学生6人も参加しました。

 中国新聞ジュニアライターの高校生2人と一緒に、ポーランド・オシフィエンチム市ではアウシュビッツ強制収容所跡を見学。当時の建物や遺品を保管・展示する国立博物館の副館長から、歴史継承のための取り組みについて聞きました。同市の市長は、平和に向けた個人の役割の重要性を強調していました。オランダに移動後は、アムステルダム市にあるアンネ・フランクの隠れ家を訪問。平和を目指して行動を始める決意を新たにしました。

 大学生6人が取材した記事と、感想を紹介します。

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■現地での主な活動(3月22~29日)

ポーランド・オシフィエンチム市

▽アウシュビッツ強制収容所跡(現アウシュビッツ・ビルケナウ国立博物館)見学
▽博物館の副館長と面会
▽館内にある「絵の展示室」を見学
▽収容所生還者の証言を聞く
▽現地の高校生・大学生と意見交換
▽ヤヌシュ・フビエルト市長に面会。平和首長会議会長の松井一実・広島市長からのメッセージを手渡す

オランダ・アムステルダム市

▽アンネ・フランクの隠れ家を利用した資料館「アンネ・フランク・ハウス」を見学。ロナルド・レオポルド館長と面会
▽資料館の職員やボランティアたちと意見交換
▽アムステルダム市役所を訪問。平和首長会議会長から市長宛てのメッセージを届ける

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広島修道大3年 田辺美咲さん(20)

 アウシュビッツ強制収容所跡を見学するユダヤ人の姿を見て、複雑な思いを抱きました。彼らはどんな思いでこの風景を眺めているのだろう。歴史とどう向き合っているのだろう―。答えを探しながら、跡地を歩きました。

 第2収容所のビルケナウは殺伐として、色がないかのような光景です。広大な敷地に、もし取り残されたら、雨が降り足場が悪くなったら、と想像しました。それでも犠牲者と全く同じ思いになり、同じ体験をすることはできません。いたたまれない気持ちになり、もどかしさが募りました。

 アンネ・フランクの隠れ家を訪れ、職員の一言にハッとさせられました。「ここに来たことで、アンネの日記をパタンと閉じて、読み終わったように帰ってほしくない」。今回は、忘れかけていた戦争に対する恐怖や、平和の大切さに気付く出発点だったのです。私たち若者の秘める力は大きく、周囲に発信できるだけのエネルギーをもっています。成果をしっかりアピールしていこうと思います。

広島市立大3年 川田亜美さん(20)

 今回のスタディーツアーでは、さまざまなことを考えることができました。印象に残っているのは、アウシュビッツ強制収容所跡に展示されていた、赤ちゃんの服や靴といった遺品です。見ているうちに、一人一人の小さな命が、かすかに目に浮かんだような気がしました。なぜこのような命までもが、奪われなければならなかったのだろうか。思いを巡らすと、涙をこらえきれませんでした。

 アンネ・フランクの隠れ家では、アンネと、恋心を寄せたペーターが、外の世界を眺めたという屋根裏部屋の窓をのぞきました。いつ外に出られるか分からない不安や、隠れ家が見つかることへの恐怖を押し殺しながら、この窓から自由と平和を夢見ていた少女の姿を想像しました。

 ツアーを終え、偏見や差別がなく、子どもたちが自由に生きられる世界を実現したいと思うようになりました。過去の悲劇を伝え続け、一人一人が世界に対して責任ある行動をすることで、子どもの笑顔が絶えない未来を築きたいです。

広島経済大4年 大津元貴さん(21)

 留学生をサポートするボランティア活動をしている私は、ポーランドの留学生からアウシュビッツ強制収容所跡で起きた悲惨な出来事について聞いたことがあります。以前から行きたい思いを募らせていました。

 今回、自分の目で「働けば自由になる」とドイツ語で書かれた正門のスローガンを確かめ、恐ろしさを感じました。激しい拷問が行われていたという処刑場では、あまりにも壮絶な内容の説明を聞いて、耳をふさぎたくなりました。

 私と同年代の若者や罪のない人々が、ここで犠牲になったのかと想像すると、心が痛くなりました。こんな悲しい歴史を繰り返してはいけません。人ごととして捉えるのではなく、継承していく必要があります。

 知識を蓄え、技術を発展させても、人間は一歩誤れば悲惨な出来事を起こし得るという危険性を持っています。戦時下と違い、今の私たちには、伝えるという自由があります。当たり前に思える平和が今後も続くよう、この悲劇を伝えていこうと心に決めました。

広島大3年 松川純さん(20)

 アンネ・フランクの隠れ家で、彼女が生活した部屋に入ると、壁一面に貼った俳優の写真の切り抜きが目に飛び込んできます。壁には伸びていく身長を確かめた印が刻まれたままです。一つ一つが、アンネたち8人が息を潜めつつも、生きる望みを捨てずに暮らした日々を物語っています。

 アンネらが隠れ住むことができた背景には、父オットーの会社の従業員たちの存在がありました。ナチスのユダヤ人迫害政策や、周囲の人々の意識に流されることなく、支援した人々でした。ロナルド・レオポルド館長は、こう私たちに呼び掛けます。「皆さん、彼らのような支援者になってください」

 最近、ヘイトスピーチが日本でも社会問題になっています。人権をないがしろにし、特定の人を虐げることは、学校でのいじめ、家庭や恋人間の暴力でも起きています。レオポルド館長の言葉を胸に刻み、差別を人ごとと捉えていた自分の姿勢を改め、誰もが人間らしく生きられる社会を築く手助けをしていきます。

県立広島大2年 時盛郁子(ふみこ)さん(19)

 今回のスタディーツアーに参加して、今までは経験しえなかった濃密な時間を過ごすことができました。どうして人はここまで冷酷になれるのか、どうして相手の痛みを思いやることができなかったのか―。実際に自分の目で、アウシュビッツ強制収容所の跡やアンネ・フランクの隠れ家を見て、疑問が湧き続けました。

 私たちが踏み出せる平和への第一歩は、戦争にまつわる物からしか発せられない「声」を感じること、その声に耳を傾け行動することなのではないかと、強く感じるようになりました。

 「悲劇を二度と繰り返さないために、もし同じことが起きたらどうなるのかという想像力を、謙虚に持ち続けることが大切だ」。強制収容所跡を案内してくれた公認ガイドの中谷剛さん(49)の言葉がとても印象に残りました。

 ツアーで経験したこと全てを整理するには、まだまだ時間がかかりそうです。しかし、ゆっくりとかみ砕いて、私なりの平和観、価値観をつくる材料にしていきたいです。

広島大2年 土江友里子さん(19)

 欧州でホロコーストを学ぶ中、あらためて悲惨さを痛感するとともに、平和の実現は国民の手にかかっていると気づかされました。「私たちには、正しくない人に権力を握られないようにする責任がある」。インタビューしたオシフィエンチム市長の言葉が心に響きました。ホロコーストを実行したナチスは、国民の選挙で第1党に選ばれました。平和の維持は政治家だけではなく、私たち個人個人の責任でもあるのです。

 日本で生まれた私たちは戦争を知りません。平和な暮らしは当たり前であり、特に意識することはありませんでした。日本では来年から、18歳以上が選挙に参加できる見込みです。私たち10代も選挙の重要さを自覚し、責任を持って政治家を選ぶ必要があります。

 「正しくない人」が権力を握らないように注意する。と同時に、若者が政治や世界情勢に関心を深め、平和活動に積極的に参加することも大切です。そうすることで、世界平和に一歩でも近づけるのではないかと考えています。

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広島と共に記憶受け継ぐ オシフィエンチム市長

 アウシュビッツ強制収容所のあったポーランド南部のオシフィエンチム市。ヤヌシュ・フビエルト市長は、原爆が投下された広島市と共に「戦争の悲劇のシンボルの町として、私たちは世界に平和を広げていく責務がある」と強調します。記憶を継承し、平和な世界を実現するには―。市長の思いを聞きました。(大津元貴)

 ―悲しい体験を繰り返さないためには、どうすれば良いですか。
 70年前の出来事を示す実際の建物や場所を残すことが大事だ。一部に「ホロコーストは起きていなかった。うそだ」という意見もある。そうした間違った発言と闘うためにも、本物を残すことが大切だ。

 日本もポーランドも終戦後、平和な暮らしが続いている。当たり前のような感覚になっているが、軍事衝突は今でも起こりうる。忘れてはならないのは、私たちには、正しくない人に権力が握られないようにする責任があるということだ。

 さほど重要だと思われない普通の状態からプロセスが進むうち、戦争や悲劇が生じる。1930年代の映像を見ると、私たちと同じような人々がヒトラーやナチスを支持していた。日本でも最初は同じ状況だったはずだ。平和の維持は、私たち一人一人にかかっている。政治家だけではない。

 ―私たちは、平和のために何をすべきでしょうか。
 社会やコミュニティー、家族の中で、一人一人が行動を起こすことだ。アフガニスタンやウクライナの情勢を見ても、70年前と同じような悲劇が繰り返されている時代に、私たちは生きている。肌の色や宗教、考え方が違っても、お互いを受け入れ、許し合う寛容な心を持つことが大切だ。毎日の生活でも、他人に親切にしたり、良いことをしたりすることで、世界平和につながる第一歩になる。

 ―広島とオシフィエンチムの若者が、協力してできることがありますか。
 若者がここに滞在しながら強制収容所跡や平和推進機関を見学し、平和について考えるワークショップがある。私たちは一緒に協力して進めていくべきだと思う。未来を形作るうえで、若者がその基礎をつくっていかなければいけない。今続けている関係や活動が、将来役立つだろう。市長として、世界中から訪れる若者を歓迎し、支援したい。

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本物に触れ 心で感じよう アウシュビッツ国立博物館副館長

 アウシュビッツ強制収容所跡(現国立博物館)は、犠牲者の遺品や建物を当時のまま保存することを重要視しています。アンジェイ・カツォジク副館長に、歴史を継承する取り組みについて聞きました。

 監視塔など約150の現存する建物と、ガス室など300以上の破壊・破損された建物は、ホロコーストの事実を示す証拠です。数十万に上る遺品は、一人一人の姿を物語ります。見学者は「本物」に触れることで、映画や本で知ったり、教室で学んだりするだけではできない経験を積めます。

 人間がガイドすることも重要です。見学者が「これは何か」「どうしてか」と質問すれば、ガイドとの間に対話が生まれ、事実を深く掘り下げ、思いを巡らせることができます。テープを聴いて回るだけでは補えません。感情がコントロールできず、事実と向き合えなかったり興奮したりする人もいます。そんな時も手助けできます。

 ポーランドの学校でアウシュビッツについて学ぶのは15歳からです。思春期に幅広い視点で人種差別を受け止めます。その後の人生で、自分で選択して実行する場面に直面した時、選択には責任が伴うことを歴史は教えてくれます。

 「人間がどんな可能性を持っているかに気付き、自らをも警戒する必要を感じてほしい」。ユダヤ人というだけで殺された歴史がいつまた繰り返されるか分からない危険性を指摘。「アウシュビッツも広島も人類への重要な警告者でなければいけない。歴史の事実をデータとして蓄積するだけでなく、心で受け止めてもらえるよう伝えていくことが私たちの使命」と力を込めました。(川田亜美)

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地獄に生きる人間の力強さ 絵画展示室

 肖像画や風景画、絵本…。アウシュビッツでも芸術が命と精神を支えました。収容者がナチス親衛隊(SS)に命令されて描いた絵や監視をかいくぐって真実を記録した絵の展示室を見学しました。

 SSに命じられて描くと、収容者はスープを多くもらえたり比較的楽な仕事を任せられたりして生きる可能性をつかめました。一方、実情の描写は禁止され、見つかれば重労働を強いられます。それでも、精神的に抵抗するため、描いた人がいました。

 収容前後の自分を並べて描いたユダヤ人男性の絵が残っています。正装した自分が、収容者服姿の痩せこけた自分を指さし「これは誰だ?おまえか?私か?私だ」と記しています。「NICHTFREI(自由はない)」のメッセージは「働けば自由になる」とドイツ語で書かれた正門の標語を皮肉っています。

 色鮮やかな絵本は連行後に生まれた息子のために、父親が作りました。脱走に失敗して殺されたため、息子を見ることはかないませんでした。しかし「息子よ、人生の中で一番大切なのは勇気だよ」と書き残した絵本は戦後、息子の元に届けられました。悲壮感の漂うガス室とは違い、地獄のような生活の中でも生きようとした人間の力強さと明るさを感じました。(時盛郁子、土江友里子)

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歴史の過ち学ぶ「出発点」 アンネ・フランク・ハウス館長

 「アンネ・フランクの隠れ家には、喪失感が詰まっている。この悲劇は、人間が引き起こしたという事実を忘れないでほしい」。隠れ家を利用した資料館「アンネ・フランク・ハウス」のロナルド・レオポルド館長はしっかりした口調で私たちに呼び掛けました。一人の女の子が日記をつづった場所は、人間の犯した過ちを学ぶと同時に今の平和や戦争に思いをはせる「出発点」になっています。

 オランダ・アムステルダム市の運河に面した細長い4階建て。ナチスに支配されていた1942年から約2年間、アンネをはじめ8人のユダヤ人が迫害から逃れ隠れ住んでいました。連行後に残っていたのが、アンネの書いた日記でした。

 「当時はまだ希望があり、将来に対する楽観的な願いもつづってあった」。レオポルド館長は、解放を願ったアンネの気持ちを代弁します。45年、アウシュビッツ強制収容所から生還した父オットーは、この日記を手にします。

 何もなくなった隠れ家は、妻と娘2人を失ったオットーの気持ちと、6万人のユダヤ人が消えたアムステルダムの街の二つの喪失感を物語っています。今、毎年90カ国以上から約120万人が訪れます。レオポルド館長は「歴史を語る場所、悲劇を物語る場所」と表現。若者らに訪れてもらい、今なお戦火や暴力が絶えない世界の現状と、過去の悲劇に考えを巡らせてほしいそうです。

 「(ホロコーストは)自然の成り行きで起きたのではない。当時の人が実際に選択してやったことなのだ」と力を込めます。

 ハウスは3年前、次世代に継承するため、平和大使を募る制度を創設。研修を受けた若者が同世代に、展示品の案内などを通じて平和の大切さを伝えています。将来のリーダーになる若者に期待が寄せられます。

 「見学を終えた時、『アンネの日記』をパタンと閉じて最後まで読んだという気持ちになって帰ってほしくない」。職員の一人は、そう訴えます。隠れ家訪問はゴールではありません。歴史から学んだことや感じたことをどう生かしていけるのか―。今も自問自答しています。(田辺美咲)

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戦争を伝える義務 心新た 現地若者と意見交換

 「車で近くを通ると家族全員が無口になる。その後、アウシュビッツ強制収容所で何が起きたか、親が話してくれるんだ」。オシフィエンチム市の若者と開いた意見交換会で、現地の男子高校生(19)はこう話しました。悲劇の象徴を人ごとではなく、身近な問題として捉え、育ってきたことを教えてくれました。

 会には、現地から高校生9人と大学生1人が参加、平和学習などについて話し合いました。ポーランドでは、事実を正しく受け止められるまで成長した中学3年になって、ホロコーストの歴史を学び始めるそうです。小学生の時から原爆の悲惨さを学習する広島との違いに驚きました。

 「第2収容所のビルケナウにはまだ行ったことがない。歴史をしっかり学んでから訪れたい」。女子高校生(19)の言葉には、何も知らずに見学するのではなく背景を理解したうえで過去を受け入れたいという意志がにじんでいました。

 若者が戦争の悲劇を継承する方法にも話題は広がりました。オシフィエンチム市主催の平和音楽祭では、各国から多くのアーティストが参加、平和を訴えます。コーディネーターを務めた経験のある男子高校生(19)は「このイベントを通して、多くの人に“nomorewars”と伝えたい」と話しました。

 歴史を、ただ学んで終わりにしたくはありません。現地の学生の意見に耳を傾けたことで、広島の学生として、戦争の惨禍を後世に伝えていく義務をより強く感じました。(松川純)

差別への戦い みんなの義務 青年スタッフ

 アンネ・フランク・ハウスで、オーストリア人の青年が働いています。母国は第2次世界大戦中、ナチス・ドイツに併合され、ホロコーストに加担しました。その歴史を受け止めつつ、ユダヤ人の少女が思いをつづったこの場所に立ち、こう断言します。「差別や偏見に対して戦うことは、全ての人が持つ義務だ」

 トビアス・トラクスラーさん(18)。高校卒業後、兵役の代わりに奉仕活動をする道を選び、昨年8月、ハウスに派遣されました。「アンネの日記」を読んだことはなく、最初は不安だらけ。しかし見学に訪れる世界中の人々と出会ううち、自分の関心を深め、考え方を変えていきました。

 今は国際司法裁判所で働くことが夢です。きっかけは、ハウスのセミナーの一環でハーグにある旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷を訪れたことでした。子どもの殺人事件をめぐり、加害者の男性が涙を流しながら母親に謝罪する映像を見ました。男性が憎くてたまらないはずの母親の顔に一瞬、「救い」の表情を認めました。犯した行為は許せなくても、分かり合える部分があるのではないか―。その仲立ちをするつもりです。

 「壮大な目標だけど、ハウスで働く日々が夢の実現を支えている」。仕事を終えて帰宅すると、毎日がしっかり糧になっていると、実感できると言います。

 平和活動サークルに入っている私も、日本の被害と加害との間で感じる心のせめぎ合いを乗り越え、平和への思いを世界の人々と共有していきたいと思います。(川田亜美)

アウシュビッツ強制収容所
 ナチス・ドイツは第2次世界大戦中、欧州でユダヤ人や少数民族ロマたち約600万人を組織的に虐殺した。ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)と呼ばれる。アウシュビッツ強制収容所は最大規模で、1940年6月、現在のポーランド南部のオシフィエンチム市郊外に開設された。当初はポーランド人政治犯を収容していたが、42年からユダヤ人を主な対象とする「絶滅収容所」に。45年1月に当時のソ連軍が解放するまで、欧州全域から移送されたユダヤ人に加え、ロマ、ソ連軍捕虜ら100万人を超す犠牲者を出した。79年、世界文化遺産に登録された。

 アンネ・フランク 1929年にドイツ・フランクフルトで生まれたユダヤ人の少女。ナチスの迫害を逃れ、13歳から約2年間、オランダ・アムステルダム市の隠れ家で暮らした。44年8月に15歳でナチスに捕らえられるまでの2年余りの日々を日記につづった。45年、強制収容所で亡くなった。

5月31日に帰国報告会

 ツアーの成果は、5月31日、広島市中区中島町の広島国際会議場で開く帰国報告会で発表します。ツアーは広島市、公益財団法人広島平和文化センター、平和首長会議の後援を得ています。

(2015年4月16日朝刊掲載)

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