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社説・コラム

著者に聞く 「三一新書の時代」 井家上隆幸さん 書き手発掘 最先端行く

 硬軟取り混ぜたラインアップで人気を集めた「三一新書」の全盛期を引っ張った元編集者が、1950年代末から70年代初頭にかけての出版界を振り返った。「毎月1冊の出版がノルマ。手当たり次第、行き当たりばったりの毎日だった」。地方大学出身は、当時の編集者では異色の経歴。東京のど真ん中で執筆依頼に突き進む姿は、青春小説のような勢いを感じる。

 新書の創刊ブームの中で58年、三一書房に入社。三一新書では当時、満州(現中国東北部)を舞台にヒューマニズムと軍国主義の相克を描いた五味川純平の小説「人間の條件」が大ヒットしていた。「岩波新書の教養主義と、カッパ・ブックスのベストセラー主義の中間を行く『風俗左翼路線』を開拓した」と回想するように、ソ連や中国の関連書籍が多かった三一書房で、硬派路線からのイメージチェンジを主導した。

 最初に手掛けた新書は、後に共同通信編集主幹を務める原寿雄さんの「日本の裁判」。冤罪(えんざい)を生む温床や、司法の独立性について問題提起した。片岡義男、殿山泰司、小沢昭一、田中小実昌…。新たな書き手も精力的に発掘した。「人間の條件のヒットで経済的に安定していた上に、堅苦しい教養主義や党派性から自由な社風だった。『時代の最先端を行く』『インテリだけではなく、普通の人に届ける』と意識していた」

 陸軍に召集された父は広島で被爆。向原(現安芸高田市)の陸軍病院分院で父と再会した少年の頃の記憶や、破防法や学費値上げに抵抗した岡山大時代の逸話もつづる。三一書房を73年に退社後はフリーライターに。書評家としても知られる。

 「最近の新刊書の帯や書店の棚は『感動した』『泣ける』ばかり。売れている書き手に引っ張られて、編集者や書店員が斬新なテーマを追わなくなっている。格差社会の広がりの中で、小林多喜二の『蟹工船』が一人の書店員の猛プッシュを起点に再評価されたように、自分が本当に面白いと思える本を世に出してほしい」(石川昌義)(論創社・1728円)

いけがみ・たかゆき
 1934年生まれ、津山市出身。岡山大卒。著書に「量書狂読」「20世紀冒険小説読本」など。

(2015年4月19日朝刊掲載)

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