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社説・コラム

No Nukes 「No Nukes」編集部編 見えぬ危機を透視する

 本当はわかっているが認めたくないので見ないことにする―。これを心理学の言葉で「否認」と呼ぶと、若手政治学者の白井聡が指摘している。

 福島原発の当事者は巨大津波のリスクを否認した。原子炉への注水が長時間止まるに至っても、メルトダウンを否認した。そもそも、この国では核のごみの行き場がないこと自体を、否認してきたのだ。

 ならば、見えない<危機>を見せよう。「No Nukes―ヒロシマ ナガサキ フクシマ」と題したメッセージ集の一つの狙いがそこにあるのだろう。

 カバー写真は、福島県飯舘村長泥地区で2013年10月に採取された作業用手袋。放射性物質が付着していることが、オートラジオグラフ(放射線像)という技術で赤く表現される。ほかにも、フキや鳥の羽根の写真。アートのようだが、現実を暴き出している。

 東京の高級メンズブティックで見つけた、リトルボーイとファットマンの置物の写真はどうだ。ここでも<危機>が目に見える。米国から仕入れたそうだが、核大国ではかくのごとく人の感覚がまひしている。

 この分なら、エノラ・ゲイ号の置物さえ出回っていようと想像させる。だが待てよ、さりげなく陳列されている日本だってどうだ、と考え込まざるをえない。

 そんな<危機>を透視する写真の数々に圧倒される。その間に織り込まれた広島、長崎、福島の学生たちの言葉に勇気づけられる。広島県神石高原町出身の長崎大生川﨑有希は、爆心地公園を案内する時は必ず、一緒に空を見上げることにしているという。

 うまく伝えられなくて迷うときもある。それでも、長崎の空が世界につながっていると思えば、「ここを最後の場所にしなければという思い」も包み込んでくれる気がするのだろう。

 「地球上に存在する1万6400発の核弾頭」と「地球上に存在する435基の原子炉」という二つの見開きページが相次いで目に入った。被爆から70年、福島原発事故から4年。人類の存亡に関わるものを、一目瞭然にしてくれる教科書のようでもある。(佐田尾信作・論説主幹)

講談社・1620円

(2015年4月19日朝刊掲載)

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