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社説・コラム

『潮流』 沖縄と岩国

■防長本社編集部長・番場真吾

 地元だけに負担を押し付けてきたのではないか。米軍普天間飛行場の移設をめぐり、沖縄が投げ掛けている問題だろう。米軍基地を抱える負担は騒音や事故、治安などの危険だけではない。地域づくり自体が大きく制約される。米海兵隊の基地を抱える岩国市でもそうだ。

 大竹市から岩国市にかけての沿岸部は経済部の記者時代からよく訪ねている。日本で最初の石油化学コンビナートができるほど立地に恵まれている。随分前だが初めて訪ねた時、その割に岩国市側の進出企業が少ない、とも感じた。

 その背景の一端が岩国市史に記されている。1954年、米軍が岩国基地に近い工場に対し、航空の障害となるとして煙突の切断を求めた。工業都市を目指す市の議会は、工場の誘致や増設の妨げになる「上空制限」に反対を決議している。しかし上空制限を要求され、増設もできなくなった企業は結局、他市へ工場を分散させている。

 産業振興だけではない。基地との向き合い方も何かと難しい。常に市民の賛否が分かれる。「残念ながら存在する以上、活用できるものはした方がいい」。こうした声も受け、岩国市が基地との共存を盛り込んだのは、本年度からスタートする総合計画が初めてである。

 滑走路を遠ざける。お金を出す。そうしたことだけでは解消できない問題を、国全体の安全保障のために抱えている。しかも戦後、米軍はずっと駐留したままである。その地元に対し、「この期に及んで」などの発言が出たり、経済振興費を出しているからいいではないか、という姿勢が見えたりするようでは理解は得られまい。

 米軍基地の問題では政府の対応が頼りとなる。沖縄に見せる姿勢は、岩国にとっても今後の負担を占う試金石であろう。

(2015年4月21日朝刊掲載)

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