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大芝 廃虚と復興の芽

■平和メディアセンター編集部長 西本雅実

45年秋のヒロシマ記録

 広島を覆った原子雲を最も近くから撮影した深田敏夫さんが、1945年秋に撮っていた大芝公園(西区)一帯の惨状を収めた写真が見つかった。広島市中区に住む妹の深田和子さん(80)が原爆資料館へ寄贈し、兄が一昨年に80歳で死去したのを伝えた。写真は17日に始まる資料館の「新着資料展」で公開される。

 写真は、当時15歳の和子さんが原爆の延焼を免れた大芝町(西区大芝1丁目)の自宅近くに同級生と立つ姿を収める。全壊全焼の際となった爆心地から北西約2・7キロの公園一帯の惨状と、バラックが早くも立つ光景が鮮明に写されている。

 深田さんは、旧制崇徳中を卒業後も動員が続いた陸軍兵器補給廠(しょう)(広島大霞キャンパス)で被爆。爆風に吹き飛ばされながらも、原子雲が立ち上がるのを見て補給廠2階の窓から、ズボンの後ろポケットに入れていた小型カメラの「ベビーパール」で4枚続けて撮った。

 爆心地の南東約2・6キロ。地上からの原子雲撮影が確認されている25枚で最も至近距離となった。広島市が71年に刊行した「広島原爆戦災誌」で4枚すべてが掲載されたのを機に国内外で紹介され、現在は資料館にパネル展示されている。

 深田さんは戦後、現在のJR横川駅近くでカメラ店を営み、原爆を撮った被爆者らが81年に編さんした「広島壊滅のとき」に写真を寄せた20人のメンバーでもあった。がんを患い一昨年8月13日に亡くなっていたことが分かり、健在なのは1人だけとなった。

 原爆資料館の学芸担当者は「被爆直後の大芝一帯の写真は米軍の空撮を除けば極めて数が少なく、貴重な資料だ」と話している。

(2011年6月16日朝刊掲載)

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