×

社説・コラム

天風録 「船戸史観」を惜しむ」

 「永久初版作家」の名を授かったことがある。初めて世に問うた小説は「非合法員」。初版がそのまま倉庫に眠り、半分は裁断の憂き目に遭う。その後の数冊も鳴かず飛ばずだったという。おととい急逝した船戸与一さんのエッセーにある▲海峡の町下関に生まれ、世界の辺境を旅した。「非合法員」もメキシコに題材を得た。原子雲わく地に生を受けた男が暗殺者となり、異国で圧政の片棒を担ぐ。だが秘密を知るゆえ追われる身となり、銃撃戦に死す-▲遺作になった「満州国演義」のエピローグに、広島が出てくる。張作霖爆殺に始まる軍部の暴走が破滅のうちに終わり、主役の4兄弟の末弟が大陸で助けた少年を送り届けた先。そこには、人が再起する希望があった▲小説は歴史の奴隷ではなく、歴史は小説の玩具ではない―。遺作の後書きに記すように、晩年そんな境地に至った。歴史に誠実に向き合った人だったに違いない。がんと闘い、おのが命を削り、全9巻を10年がかりで▲本紙に「藪枯(やぶが)らし純次」を連載してくれた。中国山地の謎の温泉郷が舞台である。時には新聞の決め事も申し上げた。分かっちょる、と応じてくれたのだろう。もうお礼もできない。

(2015年4月24日朝刊掲載)

年別アーカイブ