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社説・コラム

天風録 「ソテツの毒抜き」

 戦後70年というが、終戦から30年近くグアムの密林で生き延びた日本人がいた。ご存じ横井庄一さんである。だが日々の糧がソテツの実だったとは、恥ずかしながら…記憶になかった▲むろん毒をうまく除く知恵あればこそ。横井さんは異郷の民の庭先でそれに気付き、故郷で聞いたドングリのあく抜きを思い出したという。沖縄の民俗学者上江洲(うえず)均さんから届いた共著「ソテツをみなおす」に教わる▲かつて上江洲さんは、論文に「ソテツ天国」と題す。沖縄・奄美では古来、穀物や甘藷(かんしょ)に次ぐ食であり、道具とし燃料に用いた。「ソテツ地獄」という言葉はあれど、飢えてやむなく食したという意味は誤って流布された、と嘆く▲もっとも今では天国の世も忘れられた。葉っぱで虫かごを作るだけだと思った―と、沖縄の学生から聞いた研究者は驚いたという。戦世(いくさゆ)とアメリカ世(ゆ)の激動を経て、ソテツ植林や水田のある里の風景は消えたのである▲戦後70年にして「不動の同盟国へ」と、日米首脳は約す。だが「普天間飛行場の5年以内の運用停止」には触れず、沖縄県知事の言を借りれば空手形だったか。ソテツは毒抜きできても、県民の怒りのガス抜きはできまい。

(2015年4月30日朝刊掲載)

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