×

ニュース

日露戦争伝える号外 芸備日日など 明治・大正の34枚 三次で発見

 日露戦争(1904~05年)の局面を報じる芸備日日新聞(後に中国新聞と合併)の号外など、明治から大正にかけての新聞号外計34枚が、三次市三次町の主婦清原澄さん(92)方で見つかった。清原さんの祖父源作さん(26年、79歳で死去)が収集したとみられる。清原さんは「後世に記録を残そうとしたのではないか」と話している。(城戸良彰)

 号外は、芸備日日7枚、大阪毎日18枚、大阪朝日8枚、大阪時事新報1枚。昨年夏、清原さんが家の整理中に出てきた古い木箱に入っていた。

 芸備日日は、主にB4判より一回り大きいサイズ。いずれも日露戦争の報道で、「露艦自(みず)から破壊す」(04年5月11日付)など戦況を伝える見出しや記事が並ぶ。旅順要塞(ようさい)の陥落については、1905年1月3~5日付で3日続きの号外が発行されており、当時の関心の高さがうかがえる。

 他社の号外は、第1次世界大戦(14~18年)に関連した報道が中心。大戦中に起きた米騒動による日本各地の混乱を報じた大阪時事新報の号外(18年8月17日付)には、三次市内の暴動で軍が出動したことも記されている。

 国立国会図書館(東京)によると、同館にこれらの号外の原本は所蔵されていないという。三次市文化財保護委員の伊藤正壮さん(83)=三次市粟屋町=は「当時の社会の反応を知る貴重な資料」と話す。

 号外を保存したとみられる源作さんは、1847年生まれ。三次市史によると、広島藩士や住民の志願兵で結成した神機隊員として、戊辰戦争(1868~69年)に参戦。書記として従軍記を残したという。

 清原さんには、源作さんの記憶はほとんどないが、家族から古物の収集が趣味だったと聞いていた。「勉強熱心だったようだ。歴史を大切にした先祖を誇りに思う」と話している。

(2015年5月2日朝刊掲載)

年別アーカイブ