社説 あす憲法記念日 平和主義の原点 今こそ
15年5月7日
戦後70年、まさに日本は大きな転換期を迎えていよう。世界の情勢が変わり、国際社会での立ち位置が問い直されている。内にあっては社会のさまざまなひずみが是正されないまま繁栄の夢を再び追いかけようとしているように映る。
その中で私たちがよって立つべきは何か。戦争で国土が焦土と化し、幾多の命を失った経験から生まれた日本国憲法であることに変わりはあるまい。
理念見つめ直せ
あすは68回目の憲法記念日である。現実の政治課題として国会における憲法改正の動きが加速しようとしている段階だからこそ、原点である憲法の理念を見つめ直したい。
とりわけ議論を尽くしたいのは国民主権、基本的人権の尊重とともに最も重んじるべき平和主義を、本当の意味で貫いていけるかどうかであろう。
政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きることがないように―。憲法の前文から読み解くと、平和を強く渇望していた国民の願いが結実したものであることをあらためて教えられる。その上に武力行使を放棄し、戦力を保持しないとした9条1項と2項がある。
しかし現在の政治状況はどうなのか。その理想を強引に解釈によって変えていく動きが集団的自衛権の行使容認であり、国会提出が連休明けに迫った安全保障関連法案であろう。日米両政府が合意したばかりの新しい日米防衛協力指針(ガイドライン)と、密接にリンクしていることは言うまでもない。
こうした前のめりな動きが本来の立憲主義とそぐうものなのか。強い疑問を抱く。
なし崩しの拡大
むろん戦後の自衛隊の歩みが9条に即していたかどうかは激論があった。少なくとも今は国民の大多数に支持され、災害派遣も含めて頼れる存在になっていよう。
とはいえ、その行動に関しては常に憲法との整合性が問われてきたのも事実である。専守防衛を掲げつつ、海外派遣がどこまで許されるのか。その議論の転機が1991年の掃海艇のペルシャ湾派遣であり、あるいは翌年にできた国連平和維持活動(PKO)協力法であったのは間違いない。
なし崩しともいえる活動拡大との批判も強い中で、わが国が誇るべきは平和憲法の下で他国の戦争に巻き込まれず、自衛隊から一人の「戦死者」も出さなかったことだ。日米安保体制に組み込まれながらも時に米国と一線を画してきたことが、中東などにおける日本の存在感につながってきた意味は重い。
集団的自衛権の行使に加え、日米同盟強化の名のもとに後方支援とはいえ地球の裏側にまで米軍への協力範囲を拡大するならば、これまで以上に9条との乖離(かいり)が顕著になろう。
「戦争に巻き込まれるという批判の荒唐無稽は、70年の歴史が証明している」。安倍晋三首相が今春の防衛大の卒業訓示で述べた言葉である。本当にそうなのか。後方支援も「敵」から見れば軍事作戦の一端にほかならない。交戦状態に巻き込まれて相手を傷つけ、傷つけられる。最悪の場合には命まで落とす。そのリスクについて政府も与党もあいまいにしている。
このままでいいはずはない。ここに至っては道は二つある。一つはいっそ9条を改正することだろう。もう一つは廃虚の不戦の誓いを忘れず、9条を堅持して現行憲法の理念に沿うよう自衛隊の活動に国民が歯止めをかける余地を残すことだ。
被爆地の願いを
私たちは当然、後者を選ぶべきだと考える。被爆地広島の人たちは人類史上、例のない惨禍を経験し、戦後も恒久平和を切に願い続けてきた。その思いをあらためて共有すべきだ。
1月に亡くなった憲法研究者の奥平康弘東京大名誉教授はこんな言葉を残した。「平和というのは戦争に対峙(たいじ)して断固として戦わないこと、戦争の準備をしないこと」。何をきれいごとをと鼻白む向きもあろう。それでも憲法9条こそ安全保障だとする主張に耳を傾けたい。
(2015年5月2日朝刊掲載)
その中で私たちがよって立つべきは何か。戦争で国土が焦土と化し、幾多の命を失った経験から生まれた日本国憲法であることに変わりはあるまい。
理念見つめ直せ
あすは68回目の憲法記念日である。現実の政治課題として国会における憲法改正の動きが加速しようとしている段階だからこそ、原点である憲法の理念を見つめ直したい。
とりわけ議論を尽くしたいのは国民主権、基本的人権の尊重とともに最も重んじるべき平和主義を、本当の意味で貫いていけるかどうかであろう。
政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きることがないように―。憲法の前文から読み解くと、平和を強く渇望していた国民の願いが結実したものであることをあらためて教えられる。その上に武力行使を放棄し、戦力を保持しないとした9条1項と2項がある。
しかし現在の政治状況はどうなのか。その理想を強引に解釈によって変えていく動きが集団的自衛権の行使容認であり、国会提出が連休明けに迫った安全保障関連法案であろう。日米両政府が合意したばかりの新しい日米防衛協力指針(ガイドライン)と、密接にリンクしていることは言うまでもない。
こうした前のめりな動きが本来の立憲主義とそぐうものなのか。強い疑問を抱く。
なし崩しの拡大
むろん戦後の自衛隊の歩みが9条に即していたかどうかは激論があった。少なくとも今は国民の大多数に支持され、災害派遣も含めて頼れる存在になっていよう。
とはいえ、その行動に関しては常に憲法との整合性が問われてきたのも事実である。専守防衛を掲げつつ、海外派遣がどこまで許されるのか。その議論の転機が1991年の掃海艇のペルシャ湾派遣であり、あるいは翌年にできた国連平和維持活動(PKO)協力法であったのは間違いない。
なし崩しともいえる活動拡大との批判も強い中で、わが国が誇るべきは平和憲法の下で他国の戦争に巻き込まれず、自衛隊から一人の「戦死者」も出さなかったことだ。日米安保体制に組み込まれながらも時に米国と一線を画してきたことが、中東などにおける日本の存在感につながってきた意味は重い。
集団的自衛権の行使に加え、日米同盟強化の名のもとに後方支援とはいえ地球の裏側にまで米軍への協力範囲を拡大するならば、これまで以上に9条との乖離(かいり)が顕著になろう。
「戦争に巻き込まれるという批判の荒唐無稽は、70年の歴史が証明している」。安倍晋三首相が今春の防衛大の卒業訓示で述べた言葉である。本当にそうなのか。後方支援も「敵」から見れば軍事作戦の一端にほかならない。交戦状態に巻き込まれて相手を傷つけ、傷つけられる。最悪の場合には命まで落とす。そのリスクについて政府も与党もあいまいにしている。
このままでいいはずはない。ここに至っては道は二つある。一つはいっそ9条を改正することだろう。もう一つは廃虚の不戦の誓いを忘れず、9条を堅持して現行憲法の理念に沿うよう自衛隊の活動に国民が歯止めをかける余地を残すことだ。
被爆地の願いを
私たちは当然、後者を選ぶべきだと考える。被爆地広島の人たちは人類史上、例のない惨禍を経験し、戦後も恒久平和を切に願い続けてきた。その思いをあらためて共有すべきだ。
1月に亡くなった憲法研究者の奥平康弘東京大名誉教授はこんな言葉を残した。「平和というのは戦争に対峙(たいじ)して断固として戦わないこと、戦争の準備をしないこと」。何をきれいごとをと鼻白む向きもあろう。それでも憲法9条こそ安全保障だとする主張に耳を傾けたい。
(2015年5月2日朝刊掲載)