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社説・コラム

社説 抑留死名簿公表 悲劇の全体像 解明急げ

 歴史の闇に埋もれてきた悲劇に、ようやく光が当てられたことになろう。

 厚生労働省は、第2次世界大戦の終結後、旧ソ連に抑留されたまま、収容所などで死亡した日本人約1万人の名簿をホームページで公表した。現在の北朝鮮、ロシアのサハリン南部(南樺太)、中国の大連など、これまで抑留死の実態がほとんど知らされていなかった地域が含まれる。

 すべてが凍る極寒の地で、満足に食事や休息が与えられず、筆舌に尽くしがたい強制労働があったとされる。まさに生き地獄であったろう。

 戦後70年を迎え、遺族の高齢化はいっそう進む。今回の名簿は、肉親の最期を知る貴重な手掛かりとなるに違いない。政府は情報の周知に努め、身元の特定を急いでほしい。

 旧ソ連による抑留とは、旧満州(中国東北部)などで、日本の将兵や民間人約57万5千人が戦後の数年間捕らえられ、強制労働に従事させられたことである。厚労省の推計によると、うち約5万5千人がシベリアやモンゴルで死亡。病気などで重労働ができなくなった約4万7千人が北朝鮮や旧満州に移送され多くが亡くなったとされる。

 戦争捕虜については、人権に配慮し、戦争終結後は早期に母国へ帰還させるのが常識である。旧ソ連の行為は、国際法違反と言ってもよかろう。

 厚労省は1991年のゴルバチョフ大統領の来日を機に、ロシア政府などから資料を順次入手してきた。2007年にはシベリアとモンゴルで亡くなった約4万人の名簿を公表。対応が遅れてきた北朝鮮などでの被害について、今回その一端が明らかになった意義はあろう。

 だが終戦から70年を経ても、抑留死の全体像の解明には程遠い。遺族からすれば歯がゆく、沈痛な思いであろう。まず急がれるべきは、全容把握のための調査である。

 抑留中に死亡したのに、名簿記載がない人も多いとされる。つまり、今回の名簿の犠牲者は、氷山の一角という可能性が高い。収容所ごとの抑留者数や死亡者数、死亡に至る経緯、埋葬場所など、まだ不明な点も多すぎる。

 政府は、早急にロシア政府にすべての資料の提供を求めるべきである。両国による共同調査も必要ではなかろうか。

 この間の厚労省の対応は十分とはいえまい。今回の名簿をロシア当局から入手したのは06年。しかしその事実をこれまで公表してこなかった。「もっと早く知りたかった」と嘆く遺族の心境は察するにあまりある。今後、スピード感を持った取り組みが求められよう。

 旧ソ連の抑留をめぐってはかつて、エリツィン元大統領が謝罪している。しかし未払い賃金の支払いなどには応じていない。その後、日本国内で10年、強制労働をさせられた人の労苦に報いるため「シベリア特別措置法」が成立し、最高150万円の特別給付金の支給が決まった。ただ北朝鮮や南樺太での抑留者は対象外である。

 国は人道的な見地から、法改正による対象の拡大を検討すべきではなかろうか。同じ抑留なのに地域で差が出るのは理解できない。政治のリーダーシップが欠かせない。

(2015年5月4日朝刊掲載)

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