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連載・特集

つなぐ遺産 大和ミュージアム10年 <下> 記憶継承 技術と戦争 表裏の歴史

 「大和は世界最高の技術で生まれた。しかし、操作する側の人間の誤りが、悲惨な戦争を招いたことも忘れてはいけません」

 大和ミュージアム(呉市宝町)の「ボランティアの会」会長の川西光治さん(73)は、来館者に語り掛ける。

 東シナ海に沈んだ戦艦大和の最後の乗員の名前や顔写真を掲げるコーナーは、ガイドのハイライトだ。川西さんは「涙を流す遺族もおり、何度話しても緊張する」という。

 ミュージアムは開館以来、大和を生んだ日本の技術力と現代につながる産業発展の歴史を伝えてきた。それだけではない。大和乗員の遺書をはじめ、海底から引き揚げた酒瓶や食器なども展示している。戦争の悲惨さと平和の尊さを感じてほしいとのメッセージを展示に込めてきた。

命の重み感じる

 4月下旬に宮崎県延岡市から来た川口清久さん(89)は元海軍兵。「なぜあんな殺し合いをしたのか。二度と戦争はしてはいけない」と見学後に漏らした。

 「犠牲者の名前を刻んだパネルを見ると、何千という数字でひとくくりにできない命の重みを感じる」。呉市の片山中3年古川真紀さん(14)は、かつて見学した時の感想をこう振り返った。

 ミュージアムには、遺族や関係者から遺品や資料の寄贈の申し出がある。戦後70年を控えた昨年から問い合わせや相談が増えているという。「記憶を後世に伝える重い責任がある」とミュージアムは受け止める。

戦争美化批判も

 ただ、戦艦を柱にした展示への抵抗感もある。市民団体「ピースリンク広島・呉・岩国」は「大和は軍事技術であり、戦争の美化につながる」と批判。旧軍港市転換法に基づき、呉市が平和産業港湾都市を掲げることを強く打ち出すべきだと、ことし3月に市に要請書を出した。

 戸高一成館長(67)は「技術そのものと、技術によってもたらされた悲劇。両方を知り初めて歴史を知る」と力を込める。

 歳月とともに戦争の記憶が薄れゆく中、大和の「光と影」をどう伝えていくか。開館10年の節目を迎えたミュージアムの役割はさらに増していく。(小島正和、広重久美子)

(2015年5月11日朝刊掲載)

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