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社説・コラム

天風録 「聞く被爆者は本物である」

 <かぜ、子らに火をつけてたばこ一本>。長崎の自由律俳人、松尾あつゆきの「原爆句抄」に拾う。絶版が40年ぶりに刷り直され、孫に当たる人から先日求める。俳人は原爆で三児を失い、自ら荼毘(だび)に付した▲<くりかえし米の配給のことをこれが遺言か>。重体の妻は玉音放送の日に弔った。たんすの中の通帳のことやら、隣組のリヤカーのことやら、いまわの際に聞いてやる。街は壊滅し、隣組も何もありはしないのだが▲やがて再婚し、教職に就く。平和式典にも参列するが、同じ言葉を何度も用いた句があるのは憤りなのか、寂しさなのか。<被爆者はかなし炎天の下大臣の代読をきく><大臣代理の代読、聞く被爆者は本物である>▲わが国の要人の代読に納得はできないが、世界の要人が訪れる必要なし、とは悲しい。核拡散防止条約再検討会議の最終文書案から、広島・長崎訪問を要請するくだりが削られた。俳人が存命なら、いかに詠むだろう▲両市への訪問は核廃絶への決意を固めるという、その一点に意義があろう。「歴史を歪曲(わいきょく)する」うんぬんの批判は別次元の問題であり、日本政府も復活を求めている。70年の時を経ても被爆者の訴えは本物である。

(2015年5月18日朝刊掲載)

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