×

社説・コラム

理不尽な死 考える契機に 「アンネの日記」に学ぶ 小川洋子さんインタビュー スタディーツアー報告会「ヒロシマとホロコースト」 

正しいこと できる勇気を

 「アンネ・フランクの姿を通し、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の悲惨さを想像してほしい」。「アンネの日記」との出会いが小説家になる原点という作家の小川洋子さん(53)は、オランダの隠れ家を訪れた経験も踏まえ、こう呼び掛ける。31日に広島国際会議場(広島市中区)で開かれるスタディーツアー(主催・公益財団法人ヒロシマ平和創造基金)報告会を前に、少女が残した日記からホロコーストを見つめ直す意義について聞いた。(山本祐司)

 初めて読んだのは中学2年の頃。夏休みの読書感想文を書こうと思い、手に取った。しかしアンネの精神年齢の高さに驚くばかりで理解しきれなかった。高校1年で読み直すと、等身大の姿に引きつけられた。母親への反抗、周囲の大人への反発心…。思春期の女の子が抱える悩みに共感した。自分も、母親の「こういう娘に育ってほしい」という押しつけを打ち破りたかった時。もやもやした感情に言葉を与えてくれた。

■読むたびに発見

 年を重ねると、読み方も変わってきた。特に自分が親になってみると、アンネの母の愛情も伝わった。さらに、子どもが子どもらしく過ごせるよう目を行き届かせ、戦後、日記の出版を決断した父の偉大さも。何回読んでも新しい発見があり、優れた文学作品だ。

 どの時代にもいる普通の女の子。小生意気で、気が強い面もある。一方、文章を書く才能は尊敬する。ユーモアも豊か。しかし、これだけ言葉を使って書いているのに、秘密警察に逮捕されてから、虐殺されるまで1字も残っていない。ペンと紙があれば、何と書きたかったか。

 隠れ家生活の中でも書くことで自由になれた。そして、言葉を紙に書きつけることで自由を得られると、私に気づかせてくれたのが、その日記だった。書くことは、何者にも束縛されない自由を与えてくれた。出会えた偶然に感謝し、もしアンネが生き抜いていたら会ってみたかった。

■差別に理由ない

 日記は偶然の重なりで残り、出版され、アンネはホロコーストの象徴になった。「アンネ・フランク」と聞けば、あの時代に起きたことをくっきり思い起こさせてくれる。600万人にも上る犠牲者は、彼女のような人生が積み重なっている。一人一人の姿を思い浮かべ、年表の1行で済ませてはいけない。

 ホロコーストを振り返ると、人が人を差別するのに論理的な理由は必要なかったといえる。理不尽な死は、オウム真理教の地下鉄サリン事件や、過激派組織「イスラム国」によるテロなど、今なお形を変え、社会に表れ出ている。どうして起きるのか。日記から考えることもできる。

 若い人に、読んでもらいたい。戦争を経験した世代と入れ替わり、戦争の加害者、被害者という意識が薄くなった若者だからこそ、生々しい感情から一歩引いて、客観的に事実を受け止めることができるだろう。周囲の人間が間違えたことをしたとき、見て見ぬふりをするのではなく、正しいことを当たり前のこととしてできる勇気を持ってもらいたいと願う。

おがわ・ようこ
 1962年岡山市生まれ。91年「妊娠カレンダー」で芥川賞受賞。94年念願のアンネ・フランクの隠れ家とアウシュビッツ強制収容所跡を初めて訪れ、エッセー「アンネ・フランクの記憶」に記す。2003年の小説「博士の愛した数式」はベストセラーになった。

「アンネの日記」
 ドイツ生まれのアンネ・フランク(1929~45年)が、ナチスの迫害から逃れるためオランダ・アムステルダムの隠れ家に移り住んでから秘密警察に逮捕されるまで、13~15歳の生活や感情をつづった。アンネは強制収容所で亡くなったが、隠れ家に残っていた日記は、アンネ一家を支援した女性が保管。生還して、それを受け取った父オットーにより編集、出版された。世界中で読み継がれるベストセラーになり、2009年、世界記憶遺産に登録された。

(2015年5月18日朝刊掲載)

年別アーカイブ