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光道国民学校 紡いだ絆 原爆で廃校 「70年」機に最後の同窓会 広島市中区

 原爆投下により廃校になった光道国民学校(現広島市中区猫屋町)の同窓生が23日、母校跡地に立つ光道会館で最後の同窓会を開いた。会が発足した1988年以来ほぼ毎年、旧交を温めてきたが、会員や世話人の高齢化を受け、被爆70年を区切りに幕を引くことにした。県内外から集まった62人が変わらぬ絆を確かめ合った。(明知隼二)

 44年卒の元住職岩崎正衛さん(83)=呉市長ノ木町=が1年間に亡くなった同窓生の法要を営み、法話をした。その後、近くの料理店に会場を移した参加者は「変わらんねー」「私が生まれた年の卒業ですか」と思い出話に花を咲かせた。

 同校は1879年、浄土真宗門徒の私塾「光道館」として猫屋町で開校した。1945年8月6日の被爆で鉄筋校舎は半壊。郊外に疎開しながら親や家を失って戻れなかった生徒も多く、同年11月に廃校となった。

 同窓会は88年、前年の被爆校舎の取り壊しを機に母校の思い出を残そうと発足。44年卒の代表世話人、福間駿吉さん(83)=西区庚午北=たちが同級生やそのきょうだいを地道にたどり、482人の所在を突き止めた。光道会館で開いた最初の会には230人が集まり、97~2010年には会報も発行した。

 しかし、最近は出席者が50人程度に減少。ことし1月までに代表世話人5人のうち4人が亡くなり、会合の継続を断念した。

 1年生の時に通った児玉淑子さん(77)=南区宇品海岸2丁目=は祖父母、母と3世代が同窓という。原爆で母を失ったつらい記憶もあるが「同窓会に来るたび温かい校風を思い出せた。若い世代がもういないので仕方がない」と寂しさをにじませた。

 「きょうだいで通っていた人も多かった。同窓生はほとんど家族のような感じがする」と福間さん。会合以外で絆をつなぐ方法を探るつもりという。

(2015年5月24日朝刊掲載)

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