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社説・コラム

戦没者の妻 思い刻む写真 津山の柴田さん 岡山県奈義町現代美術館で個展

夫の記憶や苦労も聞き取り 「生き抜く」意志は共通

 太平洋戦争で夫を失った女性たちの肖像と証言を記録した写真展「届かぬ文(ふみ)―戦没者の妻たち」が、岡山県奈義町の町現代美術館で開かれている。津山市の写真家柴田れいこさん(66)が、戦後を生きる女性たちの複雑な思いを刻み込むようにシャッターを押した。(石川昌義)

 居間で、畑で、介護施設で…。日常の暮らしを切り取った写真に納まる高齢の女性たち。穏やかな表情とは裏腹に、過酷な経験をしている点で共通している。

 自宅の庭先でほほ笑む片山鈴子さん(89)=倉敷市。戦時中、満州(現中国東北部)で暮らしていた片山さんは、満鉄の同僚だった小原国治さんと結婚の決意を固める。しかし、婚姻届を出す前に召集令状が届き、小原さんは1945年8月5日、戦地に赴いた。

88~102歳取材

 一緒に過ごしたわずかな時間を胸に、戦後も独身を貫く片山さんは、カメラを構えた柴田さんに「私の結婚生活は9日間でした」と語り掛けた。小原さんが8月1日に残した遺書には、「武人の妻として名を汚すな」との文字がある。

 夫の戦死の知らせが届いたのは47年2月。「あの人が死ぬはずはない」と思い続けた。しかし、旧ソ連が91年に公開したシベリア抑留死亡者名簿に夫の名前があった。柴田さんの聞き取りに「その時初めて、彼が死んだことを受け入れて泣きました」と答えている。

 柴田さんが2012年から約3年かけて取材した女性たちは、取材当時の年齢で88~102歳の54人。岡山県遺族連盟や知人の協力で連絡先を捜した。夫の記憶や戦後の苦労を丹念に聞き、老境を写真に残した。

 東南アジアやシベリア、沖縄…。夫たちの最期の地は世界中に広がる。広島への原爆投下や岡山空襲で命を落とした人もいる。柴田さんは「一人一人の経験は違っても、『生き抜かなければいけない』という妻たちの強い意志は共通していた」と振り返る。

重なる母の姿

 柴田さんの両親も、戦争体験があった。父はフィリピンで負傷し、台湾で終戦を迎えた。女学生だった母は神戸空襲で同級生を失った。戦場での体験を聞いても、黙ってしまって答えなかった父は若くして病没した。「ファインダーをのぞくたび、3人きょうだいを育てた母の姿と重なって見えた」。取材先は岡山県全域に広がった。

 子どもが成人した後、01年から大阪芸術大で写真を学んだ柴田さん。初の個展「天女の羽衣」は「若い頃にやり残したことを探す自分と同じ団塊世代」をテーマにした。次の「SAKURA.さくら」では、世界各地から岡山県に嫁いだ外国人妻を被写体にした。一貫して、女性たちのポートレートを残している。

 戦没者の妻の撮影を始めるまで、柴田さんは戦争に対して漠然としたイメージしか抱いていなかったという。だが、今は違う。「1人の兵士が戦死すれば、その遺族はその何倍も残される。人それぞれの悲しみを背負って過ごす苦しい時間はいつまでも続くんです」

    ◇

 柴田さんの写真展「届かぬ文~戦没者の妻たち」は6月7日まで。月曜休館。同17~30日には銀座ニコンサロン(東京都中央区)で、8月6~19日には大阪ニコンサロン(大阪市北区)でも展示する。同名の写真集(蒼穹舎、3024円)が6月17日に発売される。

(2015年5月26日朝刊掲載)

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